聞く時は、相手に合わせなくてもいい
僕たちがしている教室には、
相手に合わせること。
如何に受け止めるかということ。
どのように伝えたらいいのかということに、
気に病んでいる人が多くいます。
誤解を恐れずに言うならば、
本音は伝えてもいいのです。
ずっとずっと我慢して相手に合わせて聞くことは、
ロジャースさんが目指していたものではありません。
ロジャースさんは晩年、
グループエンカウンターという、
1対1のコミュニケーションではなく、
多対多のコミュニケーションの形を取り、
互いに本音で人とも自分とも向き合う活動をしていました。
そこでは、あるテーマについて話す形式もありますし、
テーマも形式も決まっていなく、
それぞれが今感じたことを話すことを良しとする場合もあります。
相手の発言にむかついたら、
それを表現するもよし、
自分が「今感じていること」を表現することによって、
自己一致という悩みが解消される状態を目指したわけです。
互いに本音のコミュニケーションを取ること。
それを互いに認め合う場を持つことで、
それを目指したわけです。
そもそも、
傾聴が誤解されているのは、
聞くスキルとして広まっているからです。
傾聴はただの応答技法ですが、
聞く態度があって初めて成り立ちます。
カウンセラー、つまり、聞き手側が、
自己一致状態にあることが求められます。
つまり等身大の自分であることです。
従って、聞き手が、
受容しないともっとうまく聞かないと。
って思って、あ~でもダメだ上手くいかない。
なんでもっとうまくできないんだろう。
という自己否定に入っていたり、
「は~聞きたくないな」って思っているのに、
聞いている状態では、
自己不一致状態です。
理想の自分と、実際の体験とはギャップがある状態です。
傾聴では、この自己不一致の聞く態度は、
聞く側の課題となりますから、
まずは、そんな自分を受容することから
聞く事は始まるのです。
聞きたくないよね。
そうだよね。
あ~やっぱりこの人の話聞きたくない。
あ~いやだいやだ。
それならそれでいいのです。
あ~やっぱり難しい。
受容なんてできない!
ならそれもいいのです。
上手く聞けない。
あ~やっぱりダメだなって思っちゃう。
ならそれもいいのです。
できない!?
いやだ!?
大いに結構!!
な世界なのです。
だってそれが本音なら
仕方がないじゃないか。
それがあなたの気持ちなのだから。
高く飛ぼうとするあまり、
そういった気持ちを見逃すくらいなら、
高くなんて飛ばない方がいい。
地に足をついて、
階段を上っていけばいいさ。
と僕はそう思う。
地に足をついて、
現在の立ち位置から、
現在の土台から始めればいいさと、
僕はそう思う。
技術を身につけることも大切だけれど、
その土台をしっかりしないと、
いずれそのギャップに苦しくなってしまうよ。
だから、自分ができることから始めよう。
自分が今はしたいと思えることだけしてもいいんだよ。
先生がこういうからとか、
こう聞いた方がいいからではなく、
最初は、こう聞きたいんだって。
そういう自分の気持ちを受け入れて、
そこから始めてもいいんだよ。