おはようございます。野川です。
最近は?というより、
いつもなんですけど、
そして講義でもなんですけど、
あんまり用意せずに原稿を書いています。(;’∀’)
同じ話が出来ず、
飽きっぽく、
何となくその場で思いついたことを話していますが、
それはメルマガでも変わらないんだなと、
今更ながら気づきました。(笑)
ということで、今日も思いついたお話でござる。
『カウンセラーは光であって光ではない』
カウンセラーは光であって光ではないのだ。
そのことを知る人は実はあんまりいない。
多くの人は自分が主体になりたいのだ。
自分が輝きたいのだ。
それは当たり前だ。
だって自分の人生だもの。
でも、それだとカウンセリングは上手くいかないのだ。
カウンセラーが光になれば、
確かに相手を照らす事が出来るだろう。
この光は世の中では、
癒しとか、解消とか、解決と呼ばれている。
そういう相手を「光」で包みたい。
「光」を届けたい。
という方は沢山いる。
だけど、カウンセラーがいくら光で
相手を照らしても、
その光はたかだか1時間だ。
せいぜい長くても2時間なのだ。
人生のほんの一瞬。
そして、光が強ければ強いほど、
相手の影は長く伸びていく。
そんなに自分には影があったのかと、
そう気づく瞬間もある。
そして、眩しい光に、
僕たちは目がくらみ、
自らの目を覆う。
そうすると、せっかくの光が受け取れないのだ。
光は届けるものでも、
包むものでもない。
ただぼんやり光っていて、
そこにあるものだ。
照らすものでもなく、
光を当てるものでもなく、
光を届けるものでもなく、
ただそこにぼんやり光って存在しているもの。
カウンセラーはそうであるものだと僕は思う。
自分では灯りがつけられない場合があるから、
そのぼんやり光るところに来て、
「あ~見えたみえた。」
と自分の灯りを自分でつけて帰る為のそんな灯り。
だから、変わらず光っていれば、
人は自分で灯りをつけていくんだと、
そう思うのでした。