人生の希望になるのは、
夢でもお金でもなく、
私も誰かの役に立てるんだという実感であり、
誰かの役に立ちたいと願う心だと、
例えそれが必要とされたいという寂しさや無力感からでも、
それは十分に生きる希望になり、
立派な希望だと、
そのようなことを思うのだ。
引きこもりで、
人生に絶望した時。
僕の希望になったのは、
地位や名誉なんかではなく、
「こんな自分でも必要とされたい。」
「こんな自分でも誰かの役に立ちたい。」
だった。
頑張れなくて泣いている方が相談に来た。
その方が絞り出した言葉は、
「人に勇気を与えられる人になりたい。」
だった。
貧しい生活を強いられて、
色んなことを諦めてきた方だった。
幸せの為にと、
勉強していい大学に入って、
良い就職先に就く。
それを夢見て頑張ってきたが、
現実は違った。
心が折れてしまったのだ。
でも、
それでもその方が願ったのは、
「勇気を与える人になりたい。」
「誰かの支えになりたい。」
ということだった。
ここでも、
希望を与えたのは、
地位や名誉ではなく、
「貢献」だった。
僕たちの人生に豊かさを与えることの1つは、
誰かの役に立ち、
誰かに喜んでもらうこと。
そして、誰かから必要とされることなのだと、
僕はそう思うのでした。
誰しもが居場所が必要だ。