仕事柄か、そういうさだめか、
僕の所には、
愛情表現が不器用な方が間々きます。
相手に依存的だったり、
過度に相手を試したりといった方です。
依存的だったりすると、
相手に振り回されるし、
相手も振り回すし、
お互いが傷つきます。
でもそれしか愛し方がわからないのです。
相手を試すということは、
確認がしたいのです。
「これでも離れていかない?あなたは大丈夫な人?」って。
その根底には不安があるのです。
この場合もやっぱりこれまたそういう方法でしか、
愛情表現を学んできていないのです。
どちらもきっと誰かが離れていったり、
そうやってしか自分が愛されていると、
確認する術を身につけてきていないのかもしれません。
どちらのケースにも言えることは、
本人のせいでもないということです。
もちろん親のせいでもありません。
誰のせい?何の原因?というと、
今日のお話とズレてしまうので、
そちらの話はグーグル先生に譲ります。(笑)
さて、このお話から言いたいことは、
そういった愛情表現が不器用な方とカウンセリングをしていく場合は、
ちょっぴり時間が掛かるのです。
それはどのケースもきっと、
十分に愛されてきたという実感が少ないからです。
だから安心できる場が少なかったと思うのです。
試したり、過度に相手にすがってしまったり、
すがられることで自分を感じたりしなければいけない程、
安心して自分と接する機会や、
自分といられる場や、
そういったことを学ぶ場がなかったのですから。
その為、そういった方と接する場合は、
まずはどっしりとカウンセラー側が構えることが大切です。
そして、しっかりと受け止め、
まずはそのカウンセリングの場が安心できる場になるように、
「信頼」を学ぶ土台になるように援助することが大切です。
愛されてきた経験が少ないかもしれない。
だからこそ不安でしょうから、
そこでカウンセラーという他者を通して、
信頼や安心を学び直し、
現実生活で他者とのつながりを通して、
愛情関係を学び直せるように、
試さなくても、誰かに依らなくても、
しっかりと愛される価値があると、
実感できるように。
そんなサポートが大切になってきます。
ただ、土台が不安定ですからちょっと時間がかかるのです。
寄せては返す波のごとく、
行ったり来たりしながら、
愛情とは何か、自分はここに居ていいんだと、
愛される価値があるのだと、
学び直していくのです。
そのプロセスは時に激流ですが、穏やかになる日もあったりと、
一筋縄には行きませんが、どんな経験をしてきたとしても、
僕たちは自分が自ら望めば、いつだって学び直せるのです。