「昔のように○○が出来ない。」

この言葉を口にする方は、多くいますよね。

 

例えば、

「昔のように、何も考えずに接することできない。」

「昔のように、自由に生きられない。」

「昔のように、簡単に考えられない。」

といったように。

 

このような言葉の裏には、あるものが隠れています。

それは「成長」です。

 

でも僕たちは、こういう「昔」は出来たことが、

「今」出来ないと、それは「成長ではなく後退」として捉えます。

 

昔は、自由に発言できたことが出来ない。

と言った時は、昔の発言力が消えたということや、

自分の自由さが大人になって無くなったと捉える訳です。

 

でも、見方をちょっと変えると、

そこには「後退」ではなく「成長」が見えてきます。

 

昔というのは、多くの場合子供時代とか、

若い時代を指していることが多いですが、

上記の例で言うと、

小さい頃に自由に発言できるのは、

当然と言えば当然です。

 

小さい頃から気を遣う子もいますが、

小さい頃というのは、周りのことを気にせずに、

自分のことだけを考えて発言することが多いですし、

思考ではなく自分の気持ちを正直に表現するという感情を中心で生きています。

 

でも、この小さい頃の自由に発言できるというのは、

周りの空気を読まないからこそできたことですし、

自分の気持ちばかりに意識が言っていたからこそできたことです。

さらには、自分の”自由な発言”が誰かを傷つけることにも

気づいていなかったからこそできたことです。

 

このように考えてみると、

子どもの頃だからこそできたことですし、

今それが出来ないのは、後退したのではなく、

成長したからとみることが出来ます。

 

というのも、

相手の気持ちに理解を示す思いやる力を手に入れたからであり、

自分の発言が相手にどのような影響力を与えるかを理解する力を手に入れたからであり、

自分の発言だけではなく、相手の発言も尊重できるようになったからこそでもあるからです。

 

このように「昔のようには○○できなくなった。」という言葉の背景には、

その人なりの成長が隠れていることがあるのです。

 

ですから、その成長に思いを馳せて、

例えば

「前よりもはるかに相手を思いやれる力がついてきたからこそ、

自由に言えなくなったんですよね。」

といったように労うこともできるのです。

 

「昔のように○○できなくなった。」

という言葉の裏には、

大人になって成長したからこそ出てきてしまった”寂しさ”があるのです。

 

そして、もしその”寂しさ”なんて知りたくもなかったという感情が出てきたとしたら、

今度は、その成長したからこそ味わっているその感情を労わりつつも、

その成長してきた背景に思いを馳せていき、

その苦労を労わっていくことも大切です。

 

どのような生き方をしてきてからこそ、

そうなったのか。

その生き方は、本人が望んでいたのか。

本人が自分を守るために身に付けざるを得なかったのか。

 

といったことにも思いを馳せていくこともできます。

 

もし今度あなたはが「昔は○○できたのに。」と、

相手に言われた時はその「成長」と成長ゆえの寂しさや辛さに目を向けてみてくださいね。

・JCA カウンセリング・傾聴スクール 講師 
・カウンセリングルームこころ音 カウンセラー
元引きこもりのカウンセラー。現在は講師として、毎週(土)講義を行う。
都内のクリニックでカウンセリングも行っている。