こんにちは!野川です。
メルマガを発行しました!
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今日は母校の図書館でこの記事を書いています。
母校の大学は、卒業生も利用できるので、
とってもありがたいです。
ただ、図書館にいると、
もう大学生より一回りも違うことに、
最近恐怖すら覚えます。(笑)
もうね、若さがまぶしい。(爆
気分は、今でも学生ですけど。(^^;
月日が経つのは早いものですね。
さてさて、今日は読者の方から頂いたテーマです。
「人との絆」です。
今日はその言葉を聞いた時に感じたことを、
心のままに書いていこうと思います。
心のままにって書くと、キレイな表現になりますが、
特に考え無しだったりします。(;゚Д゚)
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『絆。心の絆 と 人との絆。』
絆という言葉は、震災の時にも多く使われ、
僕たちの心の奥にも深く刻まれている言葉です。
あなたは、絆といった時に、何を思い出しますか?
僕はやっぱり友だちのことを思い出します。
色んな人の顔が浮かびます。
そして、思うことは絆って意外と脆いということです。
大好き!
ってずっとずっと一緒と信じていても、
別れることって沢山あります。
結婚したとして、
一生の愛を誓ったとしても、
別れることだってあります。
友だちだと思っていても、
離れていってしまったり、
裏切られたと感じて、
「絆」がなくなってしまったように感じることもあります。
ほんのちっさなほころびが、
僕たちの絆を壊してしまうことだって沢山あります。
その度に、僕たちはこう思います。
「これは本当の絆じゃなかった。」って。
さて、この「本当の絆」とは何でしょうか?
壊れない絆のことでしょうか?
永久に返品のできない絆のことでしょうか?
永久保証の絆のことでしょうか?
本当の絆といったときに、
僕たちの頭の中には、途切れないもの。
といったイメージがあります。
二人の間に結びついた糸のようなもの。
互いの見えない結びつきといったイメージがあります。
でも、最近はちょっと違うんじゃないかなって感じます。
「袖振り合うも他生の縁」
という言葉があるように、
ほんの些細なことでもご縁があって…、
ご縁があるということは、きっと繋がり、
つまり絆もきっとそこにあるんじゃないかなって思います。
そして、その見えない繋がりや、結びつき、
つまり絆は、袖が振れ合う前からきっとあるんじゃないかなって。
ただ、目に見えるようになったものが、
「出会い」として、「相手」として、
現れているだけのような気がしています。
絆はご縁なんだと思います。
だから、一回しか会わないこともあるでしょう。
何度も会うこともあるでしょう。
一生共にいることもあるでしょう。
そういったご縁が、絆と呼ばれるのだと思います。
そして、この絆は、
「ご縁により意味を持たせたもの」
のような気が個人的にはします。
なぜなら、
そういった、たまたまの出会いに、
より強い結びつきといった意味を持たせたのは人間です。
そこに強度や強さを求めるのが人間です。
結びつきを求めるのが人間だからです。
だから、絆はそういった結びつきの強さや、
がっちりと繋がっているといったイメージと繋がっているのだと思います。
誰とでもご縁がある。
でも、人生の時間は限られているから、
出会える数に限りがある。
袖が振れ合って、
目の前の人と出会ったら、
そのご縁を大切にする。
絆なんてものはなくって、
ただご縁があるだけ、
それを大事にした時に、
その「ご縁」に意味を持たせ、
人は、絆って呼ぶんじゃないかなって思います。
だから、絆が壊れてしまったと感じた時、
こう考えてみよう。
そもそも絆なんてなくて、全部がご縁。
絆なんてなくて、
ご縁がそこにあるだけ。
だから、絆の深さ、結びつきの強さでご縁を測らないで、
その一瞬の、瞬間の結びつきを大切にしてみよう。
でも、ご縁だから、縁がなくなることもあるから、
ご縁があるうちに、出来ることをしよう。
それでも、人には、ご縁があるから、
次のご縁に行く人もやっぱりいる。
だから、そんな時は、
「ご縁をありがとう。」と、
心で呟いてみよう。
絆が壊れたと感じても、
ご縁は確かに目に見える形で、
「繋がった」のだから。
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今日もお読み頂いてありがとうございました。
僕にとっては、当たり前ですが皆さんともご縁なのです。
だからご縁があるうちに、お届けできることを
お届けしようと思っています。
お届けできることって、
メルマガかよ!
って思ったあなた。
ごめんなさい。(笑)
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