人を理解すること、しようとすることって、
とっても大変ですよね。
だって、いい意味でも悪い意味でも”自分と違う他人”ですからね(^^;
自分じゃない人生を生きてきている人ですから、
それはやっぱり持っている価値観も、経験も、
それによって得てきた思いも、考え方も違うわけです。
それをすぐに理解したい!なんていうことは、
”するってぇと、お前さんはあれかい?おいらの人生をたった30分や1時間で理解したいってぇことかい?”
という、なぞの江戸っ子が登場するほどの事かもしれません。
さて、人は理解されたいけど、簡単にわかっては欲しくない!
という矛盾をはらんだ存在でぇございます。
こんなことがありませんか?
○○ということがあって、××ということもあって、さらに、△▽がおきて、
もうなにがなんだかわかんなくてさ、もう途中で茫然としてしまったよ。
それでね、結果的に☆☆になって、、、、、大変だったんだよ!
という話しをされたとして、
例えば、あなたが「そっか、☆☆になって、大変だったんだね。」
と一言で言ったとしたら…。相手はどう反応するでしょう?
確かに大変だったのはあっていて、いろいろあって大変だったんだろう。
というのも理解している。
でも、きっとあなたに話した人は、
「いや、そうなんだけどさ、聞いてよ、だから○○が。。。」
ときっと話始めるでしょう。
最終的には、「ねぇ、話聞いてんの!?」
(僕は、プライベートでよく言われます(^^; プライベートくらい、いいじゃないですか!汗)
さて、なぜこんな事がおきるんでしょう?
人が話を聞いて欲しいのは、事実や出来事ではない。
多くの人が誤解しているのは、ここです。
仕事の場面などでは、確かに事実の確認や、
どんな出来事が起きたのかを聞く事は役に立ちます。
ただ、プライベートの会話では、おこった出来事や
事実はそんなに重要じゃなくないのです。
あなたは、必死に何が起きたかとか、
事実関係を把握しようとしていませんでしたか?
そうすると、冒頭のように、
「ねぇ、話聞いているの?」って言われることがありませんでしたか?
「いやいや、きいているよ」といっても、信じてもらえなかったり。
それは、いろんな要素が含まれているんですが、
一つあげるとしたら、
相手が本当に聞いて欲しい事は、出来事や事実ではなくて、
それらを通して起きた”気持ち”だからです。
それを聞いて欲しいんです。
相手が本当に聞いて欲しい事は、気持です。
ディズニーランドに行った!ということも、
そこに行って、ミッキーにあって、”幸せ”な気分になった!
ということも、ミッキーにあったんでしょ?という出来事じゃなくて、
あって、幸せな気分になったという気持ちを聞いているのです。
その気持ちが聞けていないから、
僕たちは、相手に話聞いているの?
なんてことを聞かれちゃうのです。
相手が「聞いているの?」という時は、
「私がそれでどんだけ嬉しかったか、どんだけ辛かったか、喜んだか、聞いていたの?」
ということなんです。
つまりその時の気持ちを共有したいという気持ちの表れでもあるんですよ。
だから、話を来ているの?と聞かれたら、
相手が今どんな気持ちを聞いて欲しいんだろう?
なんて、ちょっと意識してみてくださいね。
