悲しみを受け入れるということ。悲しみを受容するということ。

これは、とっても難しい。

人の深い深い悲しみを受け入れていくのは、

とってもとっても難しい。

悲しみを受け入れるには、時間がかかるから。

悲しみが深ければ深い程、時間がかかるから。

受け入れる側は、この時間に耐えられない人も多いのだ。

だって、身近で見ていると苦しいから。

やっぱり僕たちは悲しんでいる人をずっと見たくない。

だから、前を向いてって声を掛けがちだ。

だけど、深い悲しみから前を向くのを決めていいのは、

本人だけなのだ。

だから、支える側はそっと見守る覚悟が必要なのだ。

前を向いて欲しいとか、早く元気になって欲しいっていうエゴを捨てる必要があって、

どれだけただただ、じっとその人と一緒にいる事が出来るのか。

これがとっても大切だと僕は思う。

そして、さらに悲しみを受容するのを困難にしているのが、

僕たちの経験だ。

経験は色眼鏡になる。

僕たちは相手を理解する時に、自分の枠組みで理解しようとする。

おばあちゃんを亡くした人がいたとして、

その人の悲しみを理解しようとする時、

僕たちは自分が身近な人が亡くなった時の経験を引っ張り出す。

私も大好きなおばあちゃんを亡くしたから、

きっと目の前の人も”自分の時と同じように悲しい”に違いない。

と僕たちは思って、こう言う。

「私も去年おばあちゃんを亡くしたから、その悲しみは分かるよ。」って。

でも、それはあなたの悲しみであって、目の前の人の悲しみではないんだ。

ここが”相手の悲しみ”を理解する上で、邪魔になる。

相手が亡くなったのは、あなたのおばあちゃんでもないし、

おばあちゃんとの思い出も違う。

おばあちゃんがしてくれたことも、

後悔していることも、

悲しみの度合いもすべて違う。

 

でも、”分かる”といった時に、

そんなことは忘れて、自分の悲しみを相手に映してしまう。

すると、”相手の悲しみそのもの”が見えなくなってしまう。

そうなってしまうと、”相手の悲しみ”を受容するのが困難になってしまう。

それは、相手の悲しみが見えなくなってしまうから。

 

こういったことが起る人の頭の中には、
「自分が経験したものしか理解できない。」という枠組みがある事が多い。

でも、自分が経験したものしか理解出来ないのなら、

カウンセラーという職業は成り立たない。

 

また、この自分が経験していないからわからないという考えは、

ある意味、相手を理解しようとすることを放棄している。

それは、経験していないからわからないから、

理解できるはずはないと、理解しようとすることを放棄しているとも言えると僕は思うんだ。

 

そして、”逆”なんじゃない?とも思うんだ。

 

「理解できないからこそ、理解しようとする。」んじゃないのって。

だから、経験していなくっても、

理解しようとすることはいつだってできる。

 

でも、そのためには、

 

自分の枠組みを脇に置いて、相手の視点から理解しようとすることが大切になる。

相手と自分は違うんだって、理解することが大切になる。

でも、頭では理解できるけど、心身がついてこないことって沢山あるから、

そういうふうに理解しようとすることって難しいんだ。

 

でも、自分の枠組みではなくて、相手の枠組みで、

どんな悲しみになのかを理解しようとすることで、

”相手の”悲しみは、確実に姿を現してくるし、

その悲しみは自分が思っているものと違うんだって、気づくことができる。

それが受容への一歩につながると僕は思うんだ。

だって、悲しみにも沢山種類があるから。

 

・いくら後悔しても帰ってこない悲しみ

・もう二度温もりを感じることができない悲しみ

・未来が閉ざされてしまった悲しみ

・失ったものが戻ってこない悲しみ

・本当は大切にしてほしかったのに、されなかった悲しみ。

いろんな悲しみが人にはあって、

その悲しみを、ただの”悲しい”だけじゃなくて、

その”悲しさ”を受け入れるということは、

その”悲しみ”の蓋を開いて、その中にある気持ちを理解することだと思うから。

だから、その一歩であるその中にある気持ちを理解しようとすることって、

大切だと思うんだ。

それで、その中が見えてくると、その人の思いに気づくことができる。

そんな時に大切なのことは、一つ一つの気持ちに丁寧に寄り添うこと。

一つ一つの気持ちに丁寧に寄り添うということ。

悲しみの中が見えてくると、いろんな気持ちが見えてくる。

もう悲しみを終りにしたくて、でもできなくて、

できれば忘れたくて、でも忘れたくなくて、

失ってしまった事実を本当は受け入れたくて、でも受け入れられなくて、

悲しみの中にはいろんな気持ちがある。

 

どちらか一方が強く出ていて、

どちらか一方が弱い場合など、

気持のバランスは人それぞれだけれど、

悲しいの中にも、いろんな気持ちがあるんだ。

 

だから、共感する時にはその気持ち一つ一つに丁寧に寄り添うことって大切です。

忘れたい気持ちにも、忘れたくない気持ちにも。

でも、僕たちは忘れなくていいよっていう、そっちの方に肩入れをする傾向がある。

 

ただ、それは受け入れていることにならないことも多いんだ。

 

なぜかというと、本人次第なんだけれど、

「本当は忘れたいの…。」

って本人が言った時に、「忘れなくていいよ。」

って言うのは、忘れたくないという気持ちを受容しているということだよね。

 

でも、本人が忘れたいと言っているのであれば、

その忘れたい気持ちは受容していないことになってしまうんだ。

 

だから、忘れたくない気持ちも忘れたい気持ちもあっていいんだよ。

でも、それでもあなたは”今”は忘れたい気持ちが強いんだよね。

って、両方の気持ちを丁寧に汲み取ることも大切なんだ。

 

そして、忘れたい気持ちが”今”強くなっているということは、

”今は”悲しんでいるより、ずっと思い出に浸っているより、

前に進みたいんだ。って気持ちが強くなっているってことだから、

だから、そっちの気持ちに寄り添うことが大切です。

 

だって、それが本人が望んでいることなんだから。

人の悲しみを受け入れるということは、

本人の”意志”を尊重するということでもあるから、

あなたが忘れないでいいよ。

って思った意志ではなくて、

相手の忘れたいという意志を受け入れることもまた受容なんだと僕は思う。

 

だから、目の前の人に今どんな気持ちが強く出ていて、

何を本当に望んでいるのかを丁寧に汲み取ることも受け入れる上で、

とっても大切なんじゃないかなって思う。

そして最後に大切になってくるのは…。

悲しみを受容するだけではなく、ねぎらうことが大切。

ただただ、受け入れる時間もとっても大切だけれど、

その悲しみを抱える目の前の人をねぎらうこともとっても大切だと思うんだ。

だって、悲しを抱えているのはとっても辛いから。

 

だから、受容+心のケアって大切だと思うんだ。

一つ一つの気持ちを丁寧に感じていていって、寄り添っていったなら、

その悲しみの背後にある思いに気づくことだってできる。

そんな悲しみを背負っても、倒れずに何とか持ちこたえている目の前の人に思いを馳せる事も出来る。

 

”忘れたくないけど、忘れたい!”っていう罪悪感を抱えながらも進もうとする気持ちに、

「きっと進もうとしてくれるのを許してくれると思いますよ。」って声を掛ける事もできる。

「ずっと覚えていて、必要以上に自分を苦しめる必要はないんじゃないですか。」

「きっとおばあちゃんも、そんなこと望んでないんじゃないですか。」って声を掛ける事も出来る。

「一つ一つ丁寧に向き合って、出された答えを大切にしたいですね。」って声を掛ける事も出来る。

 

ただただ、受け入れるだけではなくて、

受け入れたその気持ちに対して声を掛けていくことも、

またとっても大切なことなんじゃないかなって思います。

 

悲しみを受け入れることは、とっても難しいけれど、

一つ一つ丁寧に寄り添っていきたいものですね。

そして、何よりも人の悲しみを受け入れたいと思ったあなた自身の気持ちを、

まずはとっても大切にしたいですね。

・横浜実践心理学教室 講師 ・カウンセリングルームこころ音 カウンセラー

元引きこもりのカウンセラー。現在は講師として、毎週(土)講義を行ってる。 目指すは、「記憶に残らないカウンセラー」。カウンセラーのおかげより、自分の力で前に進めた実感を持ってほしい。ただ、理想への道のりは長い!


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