それって共感じゃないんですよ。

コミュニケーションにおいて、相手の体験に理解を示す方法として、

同情と共感があります。

 

この同情と共感は、似ているように考えられることが多く、

よく混同されてしまいがちですが実は全く違う概念です。

 

人は共感はされたいけれど、同情はされたくありません。

ただ、それにも関わらず僕たちは共感しているつもりでも、

意図していないのに同情になってしまっていることがあります。

 

なぜそんなことが起こるのでしょうか?

 

今日はこの共感と同情の4つの違いについて簡単にご説明していきながら、

その理由をご説明していきます。

 

ではでは、共感を理解する為にまずは”同情”から理解していきましょう。

多くの人がしているのは、実は同情。

同情とは、相手の気持ちを自分の経験則で理解しようとする取り組みです。

 

相手の話を聞いて、自分が体験した特定の経験を思い出し、

自分の枠組み(価値判断など)で相手の体験や気持ちを理解しようする試みで、

その試みの中に「かわいそうに」といったような哀れみを含みます。

 

例えば、世間の悪いニュースを見て口にする言葉の多くはこの同情です。

「あんな事故にあってかわいそうに…。」

という言葉は、事故にあった相手のことを思い、

その気持ちに思いを馳せていますが、

その気持ちには哀れみが含まれています。

 

また、相手の気持ちに思いを馳せる時に、

多くの場合は自分があった事故の体験を思い出し、

その時に自分が感じた気持ちから相手の気持ちを同一化し、

相手の気持ちを理解しようとしている場合は、

自分の経験を相手の経験に当てはめて理解しようしているという点で、

これも同情になります。

 

また、友だちが失恋をして辛いと相談してきた時に、

「あぁ、わかるその気持ち!”私も”振られた時辛かったもん。」

というような言葉も同情です。

 

一見振られたケースだと共感しているように聞こえますが、

実は、これも同情です。

なぜなら同情は、自分の枠組み(経験・記憶など)によって、

相手を理解する試みのことで、

相手と自分の気持ちは同じであるという前提に立っています。

そして、同情には若干の哀れみ含まれます。
(そう、ちょっとだけ上から目線なのです。「かわいそうに…。」といったように。)

 

そう、同情とは、自分の体験に照らし合わせ、

そういう体験を自分がしたら相手も同じような気持ちなんだろう。

というような理解の仕方をするのです。

 

相手を理解しようとするときに、自分の目線(自分の体験や記憶などの枠組み)から、

理解しようとするんですね。

 

ということはですよ。同情は自分目線なのです。

 

そして、そりゃ大変だね。かわいそうだな…。

というような哀れみも含んでいるのです。

 

では共感って何なんだろう?と疑問に思っているかと思いますので、

その違いを少しご説明していきますね。

共感とは、相手の枠組みから相手の気持ちを理解する試みです。

同情が自分の枠組みから理解しようとする試みなのに対して、

共感は、相手の枠組みから相手の内的状態(思考や感情など)を

理解しようとする試みです。

 

自分の体験したことや考えなどを一旦脇へ置いて、

相手の気持ちを理解し、感じようとすることです。

 

先の例だと、振られて辛いと言っている友人に対して、

振られたら誰だって辛いだろう。(考え)

私も振られた時辛かったからそうだよ。(自分の体験)

といような自分の考え・体験を一旦脇に置きます。

 

なぜ一旦脇に置くのかというと、

それはあくまで自分の考えや体験であって、

目の前の相手の体験や考えではないからです。

 

そして、その辛かったという気持ちは相手のものではなく、自分のものなのです。

その体験を抱えたままだと、相手の本当の気持ちを見逃してしまいます。

”あなたと目の前の友人は違う人なのです。”

ついつい僕たちはそこを忘れてしまい、自分の辛さを通して相手を見たりしますが、

それでは”相手の本当の辛さ”が見えないのです。

 

なぜなら、自分の体験や記憶・価値観という色眼鏡を掛けているからです。

 

ですから、共感ではその色眼鏡を外し、相手の内的世界(思考や気持ち感覚)を、

“あたかも”自分自身のもので あるかのように感じようとします。

 

相手はどのような辛さやどのような気持ちを今感じているのだろうと、

そのように思いを馳せ、それをあたかも我がことのように感じとろうとすること。

これが共感です。

 

同情は、この”あたかも”という性質を持たず、自分と相手の気持ちは一緒である

というよう相手の気持ちを捉えていますし、

意識が自分が過去に体験した感情にフォーカスをしている為、

意識が相手に向いているようで向いていません。

 

ここがまず違う点です。

 

次に違う点は、自分の枠組み(経験や価値基準・記憶等)によって、

理解しようとする行為が同情ですから、ここも違いあります。

 

共感は、相手の枠組みで、相手の内的状態を理解しようとする試みですからね。

共感は、双方向のコミュニケーション

そして、最後にもう一つだけ大切なことがあります。

それは同情は一人だけでもできますが、共感は二人いないと出来ないということです。

なぜなら共感は双方だからです。

 

どういうことかと言いますと、同情はTVを見たり誰かの話を聴いたりして、

相手がそこに居なくても出来ますが、共感はそこに相手がいないと出来ないですし、

相手が共感してもらったと感じて初めて共感が成り立ちますので、

いくら自分が共感したと感じても、

相手がその様に感じなければ成立しないコミュニケーションなのです。

 

共感は、相手の立場に立って相手のありのままの気持ちを感じ取ろうとし、

その感じ取った気持ちを相手に言葉にして伝えます。

 

それに対して相手が「分かってくれた。(共感してくれた。)」と感じた時、

初めて共感という双方向のコミュニケーションは成り立つのです。

共感というコミュニケーション

では、共感をしていくとどのようなことが起きてくるのかを

少しだけお話をしたいと思います。

 

「相手気持ちや相手の世界を理解しよう」と

そういう気持ちをもって、

相手が”今”どんな気持ちなのか、

どのように感じているのかなど感じ取ろうとすることです。

 

例えば、

「仕事で上司に怒られて辛い…。」といった一言を

「私だったらそんな怒られ方をしたらこう感じるな。」ではなく、

「Aさんは、人よりも言葉を大切にする方だから、

上司のそういった言葉は人よりも余計に響いたのだろう。

そして思いを馳せていくと、

頑張っているけれど認めらていないこともきっと悲しかったのかもしれない。

それは辛いよな…。」

と相手の気持ち(ここでは辛さ)を自分のことのように感じてみようとすることです。

 

そしてそれを言葉にして伝えます。

「そりゃ辛いよ。だってあなたは誰よりも言葉の力を知っているから、そんな言葉を言われたら余計に落ち込むよ。」

こういったコミュニケーションにより相手が「共感してくれた」と

そう感じてくれた時、共感というコミュニケーションが成立するのです。

 

勿論、感じ取ろうとした結果として相手の気持ちとズレている時もあります。

ただそれでも、意識を自分から相手へと傾け、

相手を感じとろうとしていますから、

同情よりもずっと共感よりのコミュニケーションと言えます。

まとめ

さて、いかがでしたでしょうか?

共感と同情の違いはわかりましたでしょうか?

以下に、簡単ではありますが表にしてまとめてみましたので、

参考にしてくださいね。

共感 同情
理解する枠組み 相手の世界 自分の体験や記憶・価値観
目線 同じ目線 少しの哀れみが入る。
成立する為の人数 二人 一人でも可能
成立するタイミング 話し手が聞き手の言葉を受け取り、共感してくれたと感じた時。 聞き手が自分の体験に当てはめ『かわいそうに。大変だ。辛いだろう。』と感じた時。

 

さて、同情ではなく共感する力を伸ばしたい方は、

共感力を鍛える具体的な3つの方法』をお読みくださいね。

 

ちなみに…。

同感は、ただ自分が相手と同じ気持ち・考えであると感じることで、共感とは違います。
(例:「あの人いい人だよね。」「私もそう思う。」)

日本語は難しいですね!

・JCA カウンセリング・傾聴スクール 講師 
・カウンセリングルームこころ音 カウンセラー
元引きこもりのカウンセラー。現在は講師として、毎週(土)講義を行う。
都内のクリニックでカウンセリングも行っている。