カウンセリングを最近動画で録画するようになり、
今までの録音だけではなく、
映像で振り返ると、
いやはや自分の酷さが際立って、
たまにではなく、
しょっちゅうですが振り返りたくなくなります。(苦笑)
でも、録音よりも圧倒的に情報量が多いことと、
相手の反応や自分の反応なども見れますから、
やっぱり録音で振り返るよりも圧倒的に違います。
何が違うかというと、
良い点・悪い点の見え方がです。
出来ているつもりだったけど全然出来ていなかったり、
上手くいかないなという時は、
ペーシングが切れていたり、
自分の世界観に入っていたり、
相手はそこまで望んでいないのに、
次の一手を考えすぎていたり。
相手の一瞬の不安の表情や、
姿勢の変化や、
何を意識しているのかや、
気持ちはどこに向いているのかな等々。
色々と見えることが沢山あります。
でも映像ってやっぱり見るとなんだか心が痛い。(笑)
隠せないですからね。
自分がした関わり、
相手の反応。
全て見えちゃうのですよ。
でも、
それでも、
またここから続けようと思います。
振り返ることを止めたら、
そこで成長は止まってしまいますし、
まだまだ出来るはずですから。
まだまだ出来ることがあるはずですし、
まだまだ身に付けられることが沢山あるはずですから。
勿論時に逃げながら、立ち止まりながら。
だって、やっぱり人の人生と関わるのってちょっと怖さがあるのです。
プレッシャーがちょっとあるのです。
「死にたい。」
という言葉をいう方は多い、
でも本気じゃない方がほとんどです。
ただ、それはこちらが感じることで、
いつ本当に亡くなってしまうかはわからないじゃないですか…。
人生の底の底にいる。
そんな方と相対した時、
何にも出来ないような気がして、
どこから触れていいかわからない怖さがある。
中途半端に関わったら、
余計に苦しめてしまいそうで。
そして、その姿を目の前にすると、
自分の無力さが際立ち、
「あぁ、ダメだ…。」と時に心が折れてしまいそうになる。
折れていそうなのは相手なのに…。
自分は、これほど生きることと向かいあえるだろうか。
人生の大きな選択。
そんな所に方もいる。
当然僕が決める訳ではない。
でも、その選択が大きければ大きいほど、
中途半端なことは言えなくなるし、
自分の発言や与える影響を考えて、
怖気ずく。
クライアントが怖いわけではないのだ。
崩れてしまった時、
責任はとれない。
だからこそ余計に関わるのには怖さがあるのだ。
でもこの怖さを無くしたらもう二度と人と関われない。
だからそれでもこの道を歩んでいくんだと、
関わっている方に、
今度こそ力になれるように。
これまで苦しみを抱えてきたのに、
力になれなかった皆様に沢山のごめんなさいと共に。
中途半端なことは出来ないぞと、
自分を鼓舞し、
今日も進んでいくのでした。
顔を出来るだけ上げていこう。
空は意外にも広い。
