カウンセリングをしていると、
相手の問題や悩みを聞く時に、
何が原因なのだろうと、
そのようなことを考えることが間々あります。
原因とまではいかないまでも、
どのようなシステムや要因やキッカケが、
症状や悩みと関係しているのだろうと、
そういう視点で過去を聞くことがよくあります。
でも最近、以前に受けたスーパーバイズを復習していて、
その時にこの言葉が目に飛び込んできました。
「過去を聞く時、原因を知る為に聞くのではなく、
2次的な苦しみを生んでいる個別な事情を理解する為に過去を聞く。」
という言葉です。
これは以前の記事にも書いたかもしれません。
それからちょっとは僕自身も成長し、
この言葉の奥深さを今より実感しています。
クライアントは、例えばうつ症状として寝れないとか、
やる気が起きないとか、体がだるいとか、
そういった苦しみを持っています。
それが1次的な苦しみです。
1次的な苦しみとはつまり、
症状自体の苦しみであり、
日常に当てはめると、
こけて足に擦り傷がついた時、
その擦り傷が1次的な苦しみです。
当然、擦り傷自体痛いのです。
それにも関わらず、
周りの人から、
「え?そんなところで転んだの?馬鹿じゃないの。」
と馬鹿にされてたとしましょう。
それにより心が傷ついて悔しさや悲しみが出てくるかもしれません。
もしくは怒りが出てくるかもしれません。
「なんで自分はあんなところで転んでしまったんだろう。」と、
自分を責めるかもしれません。
これらはの苦しみが2次的な苦しみになります。
なぜなら、足の擦り傷という1次的な苦しみに
さらにもう一つの苦しみが追加されたからです。
こう見ると、僕たちは2重に苦しんでいるのです。
悩み・問題・症状を主に悩み相談では話してくれますが、
それの多くは1次的な苦しみです。
上司から酷いことを言われた。(1次的な苦しみ)
それで、私は大事にされてないんだ。
この会社にいらないんだと感じて傷ついた。(2次的な苦しみ)
うつ病でやる気が起きない。(1次的な苦しみ)
それで朝起きれず、家族に迷惑をかけている。
何て自分はダメなんだろう。(2次的な苦しみ)
僕たちは2重に苦しんでいるのです。
うつ病だけでも辛いのに、
それによりさらに家族から責められる。
うつ病だけでも辛いのに、
職場の人間からの理解がない。
うつ病だけでも辛いのに、
家族から大事にされた経験が乏しく、
自分を大事に思えず傷つけてしまう。
そう、僕たちは2重に苦しんでいるのです。
それなのに、僕も含めて誰かの悩みを聞く時、
何がうつ病の原因何だろう?と、
そのようなことを考えて話を聴いてしまう。
すると、相手のことを責めるような気持ちが時に湧いてきたり、
原因探しに夢中になり、相手の気持ちを聞き逃していたりもする。
うつ病の症状は確かに辛い。
悩みの症状は確かに辛い。
でも、その裏にはその苦しみの奥には、
2次的な苦しみがある。
鬱がさらに辛いのは、
家族のことがあるかもしれない。
鬱がさらにしんどいのは、
夢を失ってしまったから、
そんな自分が信じれなくなってしまったからかもしれない。
鬱がさらにしんどいのは、
誰も自分のことを見てくれないと気づいてしまったからかもしれない。
人のことを理解できなかったことがそんなにも苦しいのは、
過去の付き合っている人に、
「どうせお前には理解できないだろ…。」と、
何度も突っぱねられて、傷ついたからかもしれない。
何気ない一言でそんなにも傷ついたのは、
今まで一度も怒られたことがなかったからかもしれない。
もしくはその一言は、昔に言われた傷ついた一言だったからかもしれない。
僕たちは、何かが苦しいい。
でも、その何が苦しいかだけを聞いててもその人は見えてこない。
その何かが、何ゆえにそこまで目の前の人を苦しめているのか、
その個別の事情に思いを馳せて、
その個別の事情を理解して寄り添う為に、
僕たち聞き手は過去と対峙すべきなんだと、
僕は今自分の身を引き締めたのでした。