カウンセリングで上手くいっているケースを振り返ると、

自分自身の関わり方云々は、

全然関係なかったのではないかと、

そのようなことを感じます。

 

2年間かけて、

うつ病が改善されてきた方は、

毎回僕に報告をしてくれるだけです。

 

「これがよかったんです。」

「今度これをしようと思うんです。」

「でも、まだちょっとな~。ん~どうしよう。」

 

そんな問答を繰り返し、

僕と言えば、

「そうですか。いいんじゃないですか?」

「それやっていきましょう。」

「こんな工夫はどうですか?」

そんな言葉がけと、

良くなっている所を見つけて力づけをするだけ。

 

たまに提案するもほぼほぼ断られる。(笑)

 

これでカウンセリングと言えるのだろうか。

 

ギャンブル依存から脱出した人がいる。

 

でもその方は、もう会った時から

既に十分に自分のしたことに懲りていたし、

自分をすごく罰していて、

自分が何よりも家族を大事にしてきたことに

言われなくても気づいていた。

 

だからもう十分に反省をして、

十分に罪の意識を感じていて、

十分にその時点で家族も本人も苦しんでいた。

 

だから僕がしたことは、

話を聞いたこと。

家族の話を聞いたこと。

 

ただそれだけだ。

 

その後は、やはり報告になって、

僕は近況を聞き、

変わってきたところを伝えただけだ。

 

僕は、本当に何もしていない。

問題は、僕がその方と会う前から解決していた。

 

不安を抱える方がいた。

 

とある外資系の会社に勤めていて、

その会社が組織の改編があり、

その会社に残るのか、

それとも転職をするのか、

その二択で悩んでいた。

 

そして家族の為に残る道を選ぶも、

収入が激減して、

正社員じゃなくなり、

先行きが不安になってしまったのだ。

 

でも、不安になるのも当然だ。

 

話を聞き終えると、

それだけで少し気持ちが落ちついたという。

僕はまたも聞いただけである。

 

そして、2回目また会った時、

本人が懸念していることが自然と解決をしていた。

 

といっても不安は残る。

 

転職活動も上手くいかない。

 

でも、それでも人生は進んでいく。

 

不安が少しでも楽になるように、

そんな取り組みを提案するも、

やはり結局その取り組みは行われず、

3回目にまたまた自然と状況がよくなり、

卒業していかれた。

 

何かをしない方がいいのか…。

 

必死で何かをする。

直そうとする。

改善しようと協力しようとする。

 

そういう時は、

9割以上の確率で上手くいっていない。

 

勿論、カウンセリングが主訴の改善にどれくらい寄与するのかというと、

その割合はそもそも高くないのだけれど。

 

僕は思ったのだ。

 

直そうとする時。

必死で助けようとする時。

解決しようとする時。

 

あまりに必死で気づいてなかったけれど、

僕は、目の前の人を信用していなく、

独り相撲をしていたのだ。

 

上手くいっていない時は、いつだってそうだったのだ。

・JCA カウンセリング・傾聴スクール 講師 
・カウンセリングルームこころ音 カウンセラー
元引きこもりのカウンセラー。現在は講師として、毎週(土)講義を行う。
都内のクリニックでカウンセリングも行っている。