カウンセリングには、
希望を取り戻したい方が来ます。
本当に色々な方がいらっしゃって、
技術だけでも何もできず、
在り方だけでも対応できず、
日々、自分という器をどのように大きくしていき、
どのように自分も成長していくべきなのか、
どのような自分で、
どのような気持ちで、
クライアントさんと向かい合っていけばいいのか。
そんなことを最近感じています。
この世界は、
本当に終わりがない学びの世界だなと、
そう感じます。
でも、これはどの業界、分野でもそうなのでしょう。
一筋縄ではいかない。
何か絶対的な法則や、
方程式があるわけではない。
だからこそ、
柔軟性が必要で、
ただ柔らかいだけではなく、
そこには竹のような凛としたしなやかさも必要になってきます。
ただ柔らかいだけじゃ、ぐにゃぐにゃになってしまいます。
一本自分の筋なり軸なりがないと、
いざという時にぽっきりと折れてしまいます。
そしてその軸もまた、
決まった答えがあるわけではなく、
経験を通して身に付けていくものだろうと思います。
カウンセリングでは、
自分を出す必要はないけれど、
自分である必要はあると思うのです。
これは、そのクライアントに対して、
「自分である必要がある」という意味ではありません。
カウンセリング中は、
自分が自分である必要があると思うのです。
カール・ロジャースがいう所の自己一致状態とでもいいましょうか。
自分と目の前の人が違うということを知り、
かといって目の前の人を手放すわけではなく、
違うと知っているからこそのお互いに大事な距離感で関わる。
自分は自分。
相手は相手。
だけど、
それがいい。
それでいい。
とそう感じる心の距離感で接したい。
そして、
世の中には、
色々な考え方や捉え方があるけれど、
「自分の目」で見て、
「自分の耳」で聞いて、
「自分の体」で感じたものを信じる強さを持ち、
それが違った場合には、
素直に目の前の人の意見を受け入れる謙虚さを持ち、
時に目の前の人がどう言おうが、なんと言おうが、
その叫びに隠された
「生きたい」という心の声を聴く力と在り方を育み、
真摯に関わっていきたい。
だけど、僕たちは聖人君子にはなれません。
だからこそ、
不完全でひどく曖昧な今の自分を受け入れる勇気と、
出来ないものと出来るものを切り分ける勇気をもって、
潔く人と関わっていきたい。