下をうつむきながら、
「先生、仕事場でこんなことやあんなことを受けたんです。」
「それで、それをメモしてきたんです。」
そう語るその方は、目に力がなく、
精神的に疲れてしまっていることが見て取れます。
ただ、その疲れている中にも、
あるものが燃えていました。
それは怒りの炎でした。
僕たちは、自分でしたことよりも、
自分がされたことの方が覚えています。
自分がどれだけ辛い思いをしたのか。
それを分ってもらおうとするのは、
当然の気持ちです。
それだけ大変なことがあったんですから。
でも、如何にそれを分ってもらおうとしても、
分かってもらえない場合があります。
それは、伝える場合にやっぱりその怒りが出てしまうからであり、
言われた側は責められていると感じますから、
防衛反応が出てしまうのです。
ですから素直に謝ってくれる場合はまれで、
否定したり、逆に怒りを向けられたりします。
「あの時あんなことを言われて苦しかった。嫌だった。」
そんな言葉を通して、
自分の心の痛みを分ってもらうことは、
とても大切です。
そして、もっと大切なのは、
確かに傷ついた自分を見つめていくことです。
でも、
それをする前に、
誰かにされたこと、
それが嫌だったことの怒りを解消していく必要があります。
それが出来てきたら、
その奥にあった自分の苦しみを分ってあげる必要があるのです。
なぜなら、
あなたにそんなことをした人は、
自分の行動に気づいていないかもしれないし、
気づいたとしても謝ってくれるかはわからないのです。
ですから、誰かがわかってくれなくても、
自分だけはまずは分かってあげたいものですよね。
自分がどれだけ嫌だったか。
なぜそこまで嫌だったのか。
なぜそんなにも心に残り、
怒りが湧いてきているのか。
本当は、こうしたかったこと。
本当は、実は傷ついたこと。
そういったことを、
誰がわかってくれなくても、
自分だけは、
ちょっとだけでもわかってあげたいものですね。