人が誰かの為に泣く時、
共感的に泣く時もあれば、
共感的に見えて、
自分の心の中の苦しみを見て泣いている時があります。
前者は共感であり、
後者は相手に気持ちを見ていなく、
自分の苦しみを見て泣いています。
でも、表面的には「泣いている」という点で同じですから、
区別はとてもつきづらいのです。
後者が悪いというわけではないのですが、
援助者としてクライアントと関わっていく場合は、
ちょっと注意が必要なのです。
なぜならその涙は、
自分の心の苦しみを感じて流した涙であり、
クライアントの為の涙ではないからです。
例えば、なかなか前に進まずに度々傷ついているクライアントがいたとします。
援助者の方からすれば、
「何故そんなことを繰り返すの…。もうやめようよ…。」と感じますね。
でもそのクライアントはそれを止めません。
というのも、そのループを止められたらとっくに止めているからです。
援助者もそれに心のどこかで気づいていますが、
繰り返し相談に来てくれる方に対して、
援助者自身の苦しみがたまっていきます。
なぜかというと無力感を感じるからです。
そんなに苦しんでいるのに、
何にも出来ない自分に苛立ちを覚えますし、
何もできない自分に無力さが募ってきます。
すると次第にその状況を聞くだけで、
イライラしてきてしまいます。
それは、自分の思い通りにいかないクライアントに怒りが募るからです。
すると、さらに援助者の苦しみは強くなります。
「何とかしてあげたい。」
そんな気持ちは援助者は誰もが持っていますが、
その気持ちが強すぎると、
こういった痛みにさらに拍車を掛けます。
そして例えば、以前の自分が苦しい状況にクライアントが似ていたとしたら、
クライアントに自分を重ねて尚更相手の気持ちが見えなくなってしまいます。
そして、その苛立ちや無力感や、
何にも出来ない心の痛みが強くなると、
「なんでわからないの!?私はあなたの幸せの為に言っているの!!」
という言葉が涙と共に心の叫びとして出てきます。
でも、厳しい言い方をすると、
それは本当にクライアントや相手の幸せを願った言葉ではありません。
自分が見ていられなかったのです。
苦しんでいる相手の姿を。
自分が無力で思い通りにいかない相手に対して、
とっても苦しかったのです。
ですから、相手の為に泣いているのではなく、
自分の傷がどうしようもなくなって、
涙を流しているのです。
その為、まずすべきことは、
自分の苦しみを癒してあげることです。
どんなに努力しても、
相手を幸せにすることは出来ません。
どんなに頑張っても、
助けてあげることは出来ません。
それでも助けたい方は多いでしょうし、
僕もいまだに思うことは勿論ありますが、
なんともならない時はあるのです。
だから、僕たちに出来る時は、
それほどまでに何とかしてあげたかった、
熱意を向けてきた自分を認めてあげることです。
助けたかった!
力になりたかった!
そんな自分を労わってあげることです。
すると、
相手と対峙した時に、
心が緩んでいることに気づき、
気負いが減り、
なんとも出来ないけれど、
思いやりを持って自然と接するような、
愛情をもって接するような、
慈悲深いような、
そんな気持ちで接することが少し出来るようになります。
すると関わり方が自然と変わってくるのです。
結果として相手に与える印象も、
相手との交流も何故だか自然と変わってくることがあるのです。
まずは、自分の苦しみから癒していくというのは、
ことのほか大切なようなのです。
