相手が心を開いてくれない時があります。
勿論それはカウンセリングをしている時でもです。
そして、そもそもそのように相手が心を閉ざしている状態では、
何をしても無駄なことが多いのです。
だからこそ心を閉ざしているのなら、
心を閉ざしたままのそのままの相手と接することもいいのかもしれません。
だからこそ、
「言いたくないことは一切言わなくていいです。あなたが話したくないと思うこと以外は、何も話さないでください。」
というようなペーシングをしつつ、
このような会話がカウンセリングで行われるのだと、
そのように思います。
ちなみに、
「あなたが話したくないこと以外は、何も話さないでください。」
と伝えることで、
これから一言でも相手が語ったとするとは、
それは「相手が話したいこと」になるのです。
この他にも、
「話したくない話はしなくて大丈夫です。
そしてその話したくないわけを教えて頂けますか?」
というような介入もありますが、
いずれにせよ、
話さないことをまずは受け入れているのです。
ただ、こういった表面的な技術よりも、
そもそも心を閉ざすだけの妥当な理由が本人にあるのですから、
そういったところを理解し、
受け止められるような関わり方の方がずっと大切です。
その為にも、
相手の非言語をしっかりと見つめる目を持ち、
相手の気持ちに気づいていく観察力を磨いていくこと、
その短い言葉に隠された気持ちや思いを受け取る共感力を磨き、
心を閉ざすに至った背景に思いを馳せる想像力を磨き、
心を閉ざすのは悪いことではなく、
ご本人なりに正当なわけがあったんだと、
腑に落ちて納得できるような温かさや寛大さが必要です。
勿論、心を閉ざす権利は相手にありますから、
どんなにそれらの力を磨いたとしても、
どんな言葉を掛けたとしても、
心を開いてくれない時があります。
でも、
それでも相手をその孤独の海や、
深い暗闇から何としても連れ出したい!
という思いがあるのなら、
僕たちにできることは、
諦めずに種をまき続けることです。
引きこもり心を閉ざしていた僕に、
家族は時に荒々しくドアをノックし、
時にそっと見守ってくれ、
母は毎月本を1冊くれました。
そんな諦めずに種をまき続けてくれたからこそ、
今の僕があります。
心を閉ざす。
その姿を目の前で見るのは、
とても辛い。
そして心を閉ざさなければならなかったご本人もとっても辛い。
それでも僕は、
いつかそういった人も、
支える人たちも、
変わっていき、
お互いにまた昔のように笑いあえる日々がきっとくると、
心のどこかで思っています。
「息子が、娘が心を開いてくれない。」
そんな話をしてくれる親の姿を見て、
僕はそんなことをいつも思うのでした。
