何故聞き手側あり方が大切なのか。

聞く技術も大切だけれど、

自分の在り方を整えていくことも同じくらい大切だと思います。

 

それは、自分の在り方を整えていく過程で、

自分の思いに気づけるからです。

 

最近、僕は久しぶりに悔しがりました。

いつもは、上手くいかないと自暴自棄になったかのように、

まずは自分を責めていましたが、

その時は悔しさが勝っていました。

 

それを感じたのは、最寄り駅に着いて線路の横の夜道を一人帰るその道でした。

 

悔しさを感じる体に手を当てると、

ふとある二つの場面が思い浮かびました。

 

最初の場面は、

あるトレーナーの方に、

「野川さんは、すごくカウンセリング上手くなるよ。」

とボソッと言われた場面でした。

 

その方の言葉には力があり、

嘘を言ってないことを感じたのでした。

 

そしてもう一つは、

カウンセラーに向いてないかなと不安になった時に、

先生にちょろっとそんな話をした時の場面です。

先生は、「野川さんは向いていますよ。」というたった一言のシンプルな言葉と、

違う場面での

「野川さんよりうまい方がいたんですか?そのドクターは見る目がないですね。」

という言葉でした。

 

ふとそんな場面や言葉が頭をよぎったのです。

そしてその刹那、

「こんなにも信じてくれる人がいるのに、お前は自分を信じられないのかい?」

という声がしました。

 

その声が余計に悔しくて、

なんだか久しぶりに悔し涙が出そうでした。

 

その時、僕は思ったのです。

 

「信じてみよう。根拠は何もないけど。信じてみよう。そして、もっと頑張ろう。」って。

「そういう風に言ってくれた方たちが見た”何か”を信じてみよう。」って。

 

自分の気持ちに気づいていくことは、

自分の中にある思いに気づいていくことです。

 

この一度の人生を生きる中で、

僕たちは沢山のことを感じ、考えて今を生きています。

 

全てに立ち止まることは出来ないけれど、

心動く・震える自分に気づき、

少し立ち止まってみる。

 

何かに気づくかもしれない。

でも気づかないかもしれない。

 

それでも、立ち止まることには意味はある。

 

何かを得る為に止まるのではなく、

自分を思い出す為に、

自分に帰る為に立ち止まってみる。

 

そんな連続が、僕たちの心を整えていき、

自分という人間の心をより綺麗にしていき、

その心で相手と相対した時、

今までとは違う感じ方や反応、

捉え方が出来るのだと、

そのように強く感じるのでした。

 

1つ、

立ち止まり。

1つ、

呼吸をしよう。

 

何もせずに。

 

1つ、

感じるままに。

1つ、

心の流れる方へ。

・JCA カウンセリング・傾聴スクール 講師 
・カウンセリングルームこころ音 カウンセラー
元引きこもりのカウンセラー。現在は講師として、毎週(土)講義を行う。
都内のクリニックでカウンセリングも行っている。