最近、スーパーバイズという臨床指導の頻度を少しだけ増やしています。
というのも少し実技の面で、相手の長所や苦しみを捉えられるようになる為に、
そしてそいったところを捉えることで、
今よりもより援助の道筋が立てられるように。
そんな思いで最近は、以前よりも少しだけスーパーバイズを増やし、
内容も知識的なアドバイスや対応のバリエーションなどを学ぶ方から、
実際に自らの目でどのように援助を組み立てていくのかを、
今学んでいます。
たまに「ひぇ~」と言いながら。(笑)
さて、この援助を考える時に考えるキーとなることは二つあります。
一つは目は、「何が起きているのか」というWhatです。
何が起きているのかを把握する。
それには、相手の言語・非言語面を良く捉えることが大切で、
その言語・非言語に隠された思いや感情などを汲むことも含まれます。
二つ目は、そのwhatに対して「どのように援助するのか」というHowの部分です。
このHowの部分は、今目の前のクライアントに起こっていることに対して、
具体的に何を行動として働きかけていくのかということです。
このHowの部分はリフレーミングや外在化や各種心理療法の技術といった部分になります。
そして一つ目のWhatの部分に説明を加えて、why(なぜそれが起きるのか)
を説明するものが”理論”となるわけですが、
この”理論”は、心理的援助の場合はどうしても一般論に偏ります。
それは、心理的援助の流れが多くの人に効果があるものを見つけていく方向へと流れているからです。
ただ、それは当然の流れです。
100人中たった5人しか効果が上がらないやり方よりも、
70人に効果が出るやり方の方がいいでしょうし、
多くの人はそっちを選ぶわけです。
そして援助者として学ぶものもの、
効果が実証されているものであったり、
より多くの人に当てはまり、
改善が見込めるものとなります。
でもそれでも、残り30人には効果がないのです。
万人に効果が出るような理論や療法は、
今の所ありません。
ですから、カウンセリングにおいて大切になってくるのは、
多くの理論や技術を学びより相手にあったものを提供することなのです。
と言いたいところですが、
この流れも僕はあまり好きではありません。
なぜかというと理論ありきの援助になるからです。
すると手に品を変えて理論から相手を判断することになります。
確かにその理論は多くのことを教えてくれますが、
僕たちが接するのはユニークな一人の人間です。
誰一人として同じように反応しません。
これはカウンセリングをしていると、
心から痛感するところです。
ですから理論を相手に当てはめるのではなく、
まずは目の前のユニークな一人の人間を、
しっかりと自分の心で受け止めていくことが何よりも大切だと、
そう僕は感じます。
理論には、個別性(特性や長所やその人がその人たるもの)が抜けています。
技術にも、個別性が抜けています。
個別性が入っていたとしても、類型論的なパターンに当てはめる理解が大体です。
そういう理解の仕方もあるかと思いますが、
理論でその人の個別性を見失うくらいなら、
そんな理論は本当に持っておく必要があるのだろうか?と、
そんなことも感じますし、
心は原因論的な観点で理解されやすく、
そういった理論が沢山ありますから、
そういった原因論よりも、
目の前の人の個性や強みを起点に、
目の前の一人の人を起点に、
援助をしたいと強く思うのです。
勿論、僕自身がそういった捉え方を出来ているかというと、
絶賛修行中なわけですが…。
少しまとまらないことをつらつらと書きましたが、
理論や技術を学ぶことも大いに大切ですが、
時にはそれを捨て、脇に置き、
自分の目で、
自分の心で、
目の前の人を捉え、
その人の良さや、
その言葉の裏にある苦しみに気づけるように、
僕たちは、自らの頭で一生懸命に考えて、
一生懸命にその心で相手を感じ、
真心こめて接していくことが、
きっとどんな技術や論理を学ぶよりも大切なのだと、
最近感じるのでしたというお話でした!
