悲劇のヒロインを演じたくなる時が人生にはありますよね。
「何で自分だけがこんな目にあわなきゃいけないんだろう。」
「自分はなんてかわいそうなんだろう。」
「誰にも認められず、どれだけやっても報われない。」
そんな気持ちになるのが悲劇のヒロインです。
先日、スーパーバイズを受けていて、
そんなお話になりましたので、
今日は皆さんにその心理をシェアしたいと思います。
さて、悲劇のヒロインになってしまう時、
その気持ちの根底には、
寂しさや悲しさと、
この世の中に対する怒りや、不条理に対する怒りがあります。
何で自分だけこんな目にと、
目に見えない大きな力に防がれているような、
押し付けられているようなそんな感じもするものです。
どうしようもない…。
なにくそと考えても、
感じてもどうしようもない。
だからしょうがないんだ。
だって自分はかわいそうなんだから。
そんな風に生まれてきたのだ。
そういう星の下なんだ。
そんな方向へ、つまり諦める方向に心が向かいます。
この心の働きは、これ以上期待して、
もがいても何もならなかった時に自分を嘆かないようにする働きです。
そう、心が守ろうとしてくれているのです。
これ以上自分の人生に期待をしないようにして、
嘆かないようにしているんです。
自分の人生はこんなものだと。
そして、悲劇のヒロインは、
物語の中心人物ですから、
特別感もあるのです。
期待しないように嘆かないようにしていながら、
自分はそういう特別な存在(ヒロインの為)なんだと感じて、
なんとか自分を保ち、諦めがつき易くなるのです。
悲劇のヒロインの裏にはこのような心理があるのです。
ということはです。
根底には、世の中の不条理に対する怒りがあり、
そしてそれを嘆き悲しんでもいるのです。
ただ、人がそういった悲劇のヒロインを演じている方をみると、
イライラする方がいたり、
何とも「離れたい心情」になってきたりします。
それはとても自然なことです。
なぜなら悲劇のヒロインは、主人公ですから、
周りが見えなくなりがちですし、
自分にスポットライトが当てられている為、
人の気持ちに気づきにくいからです。
すると誰かにその苦しみを分かってもらおうにも、
人が離れていき、それこそ悲劇になってしまうのです。
ただもしあなたの近くにそういった方がいた場合、
ここで読んだことを思い出してください。
何とか悲劇のヒロインになることで、
これ以上自分の人生に期待しないようにしていて、
何とか自分を保とうとしているということ。
そしてその心の奥には、世の中や不条理に対する怒り
悲しみがあるということに。