頭ばかりで考えていると、頭でかっちになる。

そして、頭ばかりで考えていると感情がおざなりになってしまう。

すると自分の感情に気づきづらくなってしまう。

 

頭は論理的な部分と感覚的な部分があるけれど、

その論理的な部分だけで自分を捉えようとすると、

苦しみを感じてしまうことがあり、

ぐるぐると永遠に出られない

思考のループにはまってしまう事がある。

 

僕たちは心のどこかで気づいている。

世の中には論理的に説明できないこともあると。

そして、常識が全てではないと。

 

でも、ついついこう考えてしまう。

「一般的にはさ、、、。」

「常識的にはさ、、、。」

「それって普通は、、、。」

といったようについつい常識やら自分の基準やらが沸いてくる。

でも、それはあなたが悪いわけではない。

僕たちはこの社会で生きていく為に、

そういった常識やら基準やらを学んできたからだ。

生きていく上に必要だったんだ。

 

だからそういう基準に照らし合わせて、

自分を理解しようとするのも当然だし、

その自他の基準からそれたことで、

自分を責めたり、罪悪感が沸いてくるのも当然だ。

でもね、ちょっと考えてみて欲しい。

自分を責める時、罪悪感を感じる時、

その声は本当に自分の声だろうか?と。

 

僕たちはいきる上で、基準やら常識やらを学んできたと言ったよね。

その基準からそれた時、親や周りの友人や他人から責められて来た。

そうやってそれらを学んで身につけてきた。

そして気づかぬうちに、その声を自分の中に取り込んできたんだ。

その自分を責める声は、自分を裁く声は本当に僕たち自身の声だろうか?

思考するその声は、本当に僕たちの気持ちを表しているだろうか?

 

思考に拠り所を求めていくと、

その頭にこだまするその声全てが「私」だと勘違いしてしまう。

でもそれは「私」ではなくて、「誰か」であることもある。

その誰かは、昔に厳しく叱ってくれた人の声かもしれない。

昔に繰り返し言われた声かもしれない。

そして、それは単なる癖として上がってくる声であるかもしれない。

以前の記事に書いたけれど、自動的に沸き上がってくる考えは、必ずしも本心ではないのだ。

 

このように僕たちの思考は、必ずしも正しくないのだ。

だから頭でっかちに考えるのを時に止めてみよう。

 

自分を裁くその声を、

自分を責めるその声を

時に疑ってみよう。

・JCA カウンセリング・傾聴スクール 講師 
・カウンセリングルームこころ音 カウンセラー
元引きこもりのカウンセラー。現在は講師として、毎週(土)講義を行う。
都内のクリニックでカウンセリングも行っている。