以前の記事「怒ってる人、悲しんでる人の話を聞く技術。」で、
感情と期待は密接に関わっていることや、期待が外れた時に、
怒りや悲しみが湧いてくるという話をしました。
例えば、「きちんと片付けておきなさいって言ったじゃない!」
と怒るのは、自分の言う事を聞いて欲しいという期待が裏切られたからです。
そして、その期待を怒ることで取り戻せると感じているからです。
だからこそ「ほらちゃんと片付けなさい!」とその後に続くわけです。
怒れば、まだ片付けてもらえる余地があると感じているからです。
一方で悲しみの場合は、同じ期待外れが起きた時ではありますが、
それがもう無理!取り戻せない!何とかできない!となった時に湧いてきます。
同じ例でいうと「きちんと片付けておきなさいって言ったじゃない…。」
と悲しみの方にふれる時は、その後の言葉に
「何で分かってくれないの…。何度も言ったじゃない…。」と続くでしょう。
これは片付けて欲しいという期待が外れ、さらにその期待が取り戻せない、
もう何度いっても、何を言っても分かってくれないと判断された時です。
このように、怒りと悲しみは、期待外れがあった時に湧いてきて、
その期待だどうにかできる、まだ何とかしたい、変えたいという時に怒りとなり、
もう無理!どうしようもない、取り戻せない、
分かってもらえないと感じた時悲しみとなって表れるのです。
よくカウンセリングを学んでいると
「怒りと悲しみは表裏一体」という言葉を聞きますが、
それはこういった理由なのです。
「分かって!」と怒りを使って相手に叫ぶ。
けれども、いくら叫んでも分かってくれない時があります。
最初にあった分かって欲しいという取り戻したい、
相手に目を向けなおしてほしい、きっとまだ大丈夫という期待が崩れ、
「もう分かってくれないんだ。」と判断されます。
すると「悲しみ」が湧いてきます。
「本当は分かって欲しかったけれど、無理なんだ。」って。
また「もう会えないんだ。」と分かっている場合は、
悲しみが前面に出てきます。
もう会えない=取り戻せない悲しみです。
でも、取り戻せないと分かっているけれど、
気持は割り切れず「怒り」が湧いてくることもあります。
気持はみなさんご存知の通り合理的には動かないのです。
だから「会えない」と分かっていても、
「何であの時あの人はあんなことしたんだ!」
「何てあんなことされなきゃいけなかったんだ!」
と怒りが湧いてくる時があるのです。
このように怒りの中に悲しみがあり、
悲しみの中に怒りがあることがあるのです。
それ故に怒りと悲しみは表裏一体なのです。
だからお話を聞く時は、怒っている相手のその怒りの中には悲しみがあるかもしれない。
悲しんでいるその相手の中には怒りが本当は怒りがあるかもしれない。
そのように話を聞いておくと、それぞれの感情が出てきた時に心の準備が出来て、
対応にも余裕が生まれてきます。
余談:怒られなくなったら終わりの理由
よく怒ってくれるうちは幸せだよ。
怒られなくなったら終わりだよ。
なんて言葉も聞きますが、それはこういった観点から見ると納得ですよね。
怒ってくれるうちは、まだ期待されているのです。
でも、怒ってくれなくなるということは…、
もう無理!変えられないという判断をされているということですからね。
期待をしていないからこそ怒りも湧かなくなってくるのです。
