「死にたい。」という言葉を僕たちはたまに言いますが、
それは冗談で言う時や、心底何か嫌になった時が多いですよね。
そしてこの言葉は、
僕たち自身の本当の気持ちを表現しているわけではないことが多いのです。
どういうことかというと、
「死にたい」=本当は「恥ずかしい。」
「死にたい」=本当は「それほど嫌なことがあって苦しい。」
「死にたい」=本当は「誰か助けて欲しい。」
「死にたい」=本当は「こんな仕事うんざり。」
「死にたい」=本当は「今の現実に耐えらることなどできず、悲しい。」
このように、本当の気持ちを「死にたい」という言葉に変換している場合があるのです。
これと同様に、僕は以前に「めんどくさい」とよく言っていましたが、
この「めんどくさい」に関しても、同様のことが言えます。
「めんどくさい!」=「自分でやってほしい!イライラする!」
「めんどくさい。」=「もう勘弁してほしい。許してほしい。」
「めんどくさい。」=「なんでわかってくれないの。分かってほしい。」
「めんどくさい。」=「もう何も考えたくない程、疲れてしまった…。」
「めんどくさい。」=「もう関わりたくない…ほっといて欲しい。」
このように、僕たちが発する言葉は、正確に自分の気持ちを表現しているわけではないのです。
そこで少し立ち止まり、自分の気持ちを正確に言葉にするトレーニングは役立ちます。
僕はこれを先生である原田幸治先生から教わりました。
自分の本当の気持と違う言葉を繰り返し使っていると、
自分の本当の気持ちを自覚する機会が減ってきます。
すると、なぜその言葉をはしたのかに対して無自覚になってきます。
するとすると、自分の気持がよく分からなくなってきます。
本当は「本当は一人になりたい」のに、
反射的にめんどくさいと言葉が出てしまう。
すると、その「めんどくさい」という言葉に引っ張られて、
思考が「めんどくさい理由」を探し始める。
「あ、そうだ。この人が帰ろうとした時に、誘ってくるからだ。」
「それで、断って嫌な顔されるのが嫌だからめんどくさいんだ。」
「いつもこの人は、こういうタイミングで声を掛けてくるめんどくさい人だ。はぁ…。」
といったように、思考が誤った方向へ行きイライラし始める。
本当は、ただ一人で安心して過ごしたかったのに、
それを意識するのではなく芋づる式に出てきた怒りを先に認識してしまう。
このように、反射的に出てくる言葉に巻き込まれてしまうなんてこともあるのです。
だからこそ、一旦立ち止まり自分が発した言葉を吟味したり、
発する前にきちんと自分の気持ちを感じてみることが大切になります。
なぜならそういった事をすることで、より自分の気持ちと言葉が繋がるようになるからです。
自分のその時に感じていた気持ち、起こっていた気持ちに対して気づく事が出来ます。
すると、きっと「めんどくさい。」ではなく他の言葉となってあなたの口から出てくるのです。
するとすると、それはあなたが相手の話を聞いて受け止めた時に、
あなたが発する言葉にも影響を与えてくるのです。
なぜなら何を伝えたいかにより自覚的になるからであり、
考えではなく気持ちを相手に届けやすくなるからです。
僕たちは、色んなことを自動出来るようになっているけれど、
そうやって無自覚に身につけてきた自動反応を時に見直して、
メンテナンスをしてみよう。
伝えたいことを伝える為に。
心があなたに感じて欲しい気持ちを心から感じる為に。
