気づいて欲しい気持ちが苦しみを生む。

「人が人の話を聞きたい。」という時、

ある視点が入っていることがある。

それは、こんな視点だ。

「上手く聴く事が出来きれば、相手がなにか気づいてくれるはずだ。」

つまり、何か気づかせたいし、相手に変わって欲しいのだ。

 

でも、こうやってお話を聞くと、

大抵の場合上手くいかないのだ。(汗

 

相手は、あなたに変えてほしいと心から望んでいないからだ。

そして、気づかせようとしても、人はあまり気づかないことが多く、

気づいたとしても、気づきたくなかった場合、傷口だけ開いてしまう事もある。

 

こういった気づいて欲しいという気持ちの根底には、無力感がある。

 

相手の話しを聞いていても、

受け止める事は出来ても、

何にもしてあげることが出来ないし、

出来なかった…。

 

そんな無力感を心の奥で感じていることが多くある。

 

せっかく相談してくれたのに…。

役に立つことが出来なかった…。

いい言葉が言えなかった…。

 

そんな経験は、みんな沢山あると思います。

 

こういう経験をする時、相談者も苦しいけれど、

話を聴いている僕たち自身も苦しいのです。

 

相談されて変わらない相手を見るのは、辛いし、

その方が何度も相談に来たとしたら…。

なぜ変わらないの!

なぜいうことを聞かないの!

と相手に怒りが向くか、

ごめんね。

上手く受け止めてあげられなくて。

ごめんね。

いい言葉を言ってあげられなくて。

何て自分はダメなんだ…。

といったように自分に怒りや悲しみが向いてしまう。

 

一方で相手は、相談しているのに関わらず、

アドバイスを実行できないことに対して、

相談して話を聴いてくれているのに、

変われない自分に対して情けなさと、

相手に対する申し訳なさを抱え、

余計に苦しくなってしまう。

 

そう、”お互い”に苦しくなってしまうのだ。

 

だから、そんなループは断ち切らないといけない。

 

それには聴く技術を上げる方法も勿論あるだろう。

今よりもっとうまく聴けるようになること。

これはとっても大切だ。

 

そして、上手くなっていく過程であることに気づく。

僕たちが出来るのは、聴く事だけだって。

介入は勿論出来るけれど、

それは相手が望んだ時だけ。

 

僕たちが出来るのは、ただ聴くだけだって。

 

でも、このただ聴くという行為は、

あなたがイメージしているように「うんうん。」と、

ただ頷いているだけではない。

 

一生懸命に聴くのだ。

本当に一生懸命に。

 

言葉の内容ではなくて、

その人が語らない言葉である非言語や、

その人の出来事を受け止めるのではなく、

その人を受け止めようとするのだ。

 

そして、受け取ったことを今度は相手に返すのだ。

フィードバックとして、

感じたこととして。

 

僕たちにできることは、ここまで。

 

それを受け取るかどうかは、相手次第。

勿論、受け取りやすいように工夫は出来る。

けど、それも受け取るかどうかは、相手に選択権がある。

 

僕たちが選択できるのは、自分という人間の範囲の中で、

出来ることを懸命にやるだけだ。

 

だから、僕たちにできるのは一生懸命に聴くこと。

それを一生懸命に返すこと。

 

それによって変わるかどうかは、わからないし、

その選択権は、いつだって僕たちにではなく相手にあって、

何を選ぶかは相手の責任なのだ。

 

僕たちにできることと、

相手にしか選べないことを分けよう。

 

そこから、苦しみが少し和らいでいく。

・JCA カウンセリング・傾聴スクール 講師 
・カウンセリングルームこころ音 カウンセラー
元引きこもりのカウンセラー。現在は講師として、毎週(土)講義を行う。
都内のクリニックでカウンセリングも行っている。