お話の内容を聞いてしまいがちな僕たちは、
ついつい言語内容に引っ張られます。
それは僕自身もいまだにあります。
「大丈夫だよ。」のその一言に、
あ、そっか大丈夫なんだって納得したり。
そんなことがやっぱりまだあります。
そしてそんなときは、相手の表情を見ていなかったり、
見ているけれども、顔の表情だけを見ているとか、
さっと流してしまったりとか、
自分が疲れてしまってよく聞けてない、
なんてことが多いのです。
でもその「大丈夫だよ。」は、
大丈夫じゃないかもしれないのです。
強がっているかもしれない。
本当は突っ込んで欲しいかもしれない。
心配を掛けたくないかもしれない。
そんな思いが隠れている時があるのです。
「大丈夫。」その一言にも、
いろんな種類があるように、
僕たちが話す言葉の一言一言にも、
それぞれいろんな「気持」が込められている。
その一つ一つを聴くことは、不可能だけれど、
それを捉えようとすることはできます。
僕たちは言葉の内容そのものを受け止めて欲しいわけじゃない。
その言葉の裏にある動いた気持ちを聞いて欲しいのです。
こんなことがあって、こんな気持ちになったんだ。
そんな気持ちを聞いて欲しいのです。
きちんと理解しようとすることは大切だけれど、
合理的に理解しても、非合理的に働くのが気持ちです。
その非合理性を抱えて僕たちは悩むわけです。
その非合理性を持つ気持ちを理解できるように、
聴けるように、気づけるように。
お話を聴いていきたいものですね。
その為にも、時に目をつぶって聞いてみたり、
耳を閉じて相手の表情やしぐさを見たり。
いろんなやり方で、僕たちは五感の感度を上げることが出来る。
内容を理解すれば、なんとかできるはずだという幻想は脇において、
まずは相手が訴えている、
あなたにわかって欲しい気持ちを捉えることから始めてみよう。
