※この記事は、泣きすぎてしまう人①の続きです。
「ダメです。今日は…。」
そう言葉にしたその方の目には、
涙がにじんでいて、
その涙はすぐに大粒の涙へと変わっていきました。
感情が、
心の苦しみが一杯になると、
それが体から溢れ出てしまって、
自分でも止められなくなってしまうことがあるのです。
泣きすぎて、
悲しみにのまれてしまうと、
なぜ悲しいのかすらもわからなくなり、
自分の気持ちすら分からなくなってしまいます。
そこで、僕はその方に次のように声を掛けました。
「この時間は、Aさんの為の時間ですから好きに使ってもいいんですよ。」
「それ以上話すと余計に涙が出てくるでしょうから、
話さなくてもいいですし、
勿論話たければ話しても大丈夫ですよ。」
「これまでいろんな事があったんですから、
涙が出て当然です。
時間をゆっくりかけてください。」
と、Aさんに今そこにただいる事への承認と、
自由に好きなように今の時間を使ってもらえるように言葉を掛けました。
そして少し落ち着いてきたあたりで、
「そのように、自分でも自分の気持ちが分からなくなってしまうことってよくあるんですか?」と。
Aさんの心の癖の確認と共に、
メタな視点で自分のこころの癖を捉えられるように聞いていきました。
するとAさんは、「はい。」と答えてくれました。
「では、ちょっとその席から立ちあがって頂いてこちらに来てください。」
「目の前に先程迄自分が座っていた席がありますね。」
「さて、今その場に立ってみるとそこにいた自分は、どのように見えますか?」
「どのような表情でしょうか?」
「どのような姿勢で座っていますか?」
「そこから目の前の椅子にいる自分を感じてみると、どのような感じがしますか?」
といったように、自分の気持ちから少しずつ距離を取ってもらう取り組み始めました。
感情の波に飲み込まれてしまう時、
僕らはその感情を主観的に体験しすぎていますから、
少し客観的にその気持ちを見ることが大事なのです。
勿論、途中途中でやはり感情の波に飲み込まれて、
涙が度々溢れてきます。
それでも、
頑張って汲んでもらったり、
「今そうやって相対していると、
体の感覚はどうでしょうか?
何か重いとか軽いとか感じるでしょうか?」
と聞いていって、
意識を今の体の感覚へと戻し、
気持ちから出てもらいつつ、
イスから一歩離れると、
その感覚はどのように変化しますか?
と、体感覚レベルでの変化を感じてもらい、
悲しみから少しでも脱出してもらいます。
つまりブレーキを踏んでもらうのです。
そして、また少し落ち着いてきたら、
疲れない範囲で気持ちを汲んでもらう。
そんな取り組みを何回か繰り返していると、
感情の波に飲み込まれずに、
少しずつ自分の気持ちに気づけるようになっていくのです。
そしてこの方も…。
「今背筋を伸ばして、姿勢が変わり声に力強さがありましたね。
今、体の中で何が起きていますか?」
「なんだか気持ちはまだ出てきますけど、以前よりも辛くなく、
ちょっと気持ちが落ち着いてきました。不思議です。」
「そうですね。不思議ですね。
その感じと一緒にいてあげてください。」
気持ちとちょっと距離をとると、
気持ちに気づけるようになる。
気持ちと一緒に居てあげると、
飲み込まれることはない。
ただ、一緒にそこにいるだけなのだ。