いきなりですが、僕は心理学が大嫌いでした。
でも、臨床心理士を目指して勉強していた時期もあったんですよ。
一日何時間も勉強して、心理学・発達心理学・社会心理学・臨床心理学etc
沢山学びました。
でも学べど学べど、どうやっても好きになれませんでした。
好きになれないどころか、学ぶと気持ち悪くなって
体が拒絶反応を起こした時もありました。
僕はどうも心理学が嫌いなのです。
じゃ、なぜ実践心理学教室という心理学を冠した教室をやっているの?
というツッコミが来そうですが、
この教室ではあんまり心理学に触れていませんので、ご勘弁ください。(^^;
話を戻すと、僕はどうも心理学が肌に合わないのです。
というのも、そもそも僕がカウンセリングを学び始めたのは、
人の心理に興味があったからではありません。
僕が興味があったのは、
どのようにしたら人は元気をだして、また前に進めるのか。
どのようにしたら目の前の人を理解できるのか。
という事だけでした。
なので、一般的に人の心理はこうなっている。
このような実験をして…、といったことに全く興味がなかったのです。
心理学ってTVでやっているようなゲーム感覚でのものを想起する方も多いですが、
実際の心理学とはちょっと違います。
心理学の歴史は研究からスタートした為、
如何に人の心は出来上がっているのか?
という、多くの人に当てはまる法則や傾向性を研究する学問です。
その法則や傾向性を明らかにして、人の生活の改善や幸せに貢献する。
と言ってもいいかもしれませんが、
いずれにせよ”多くの人に当てはまるもの”を追い求めているのです。
ただ、僕がずっと知りたかったのは、
その他大勢の人に当てはまる法則ではありません。
僕がずっとずっと知りたかったのは、
そして今でも知りたいことは、
”如何に自分の目の前の人を理解するのか”
ということです。
”如何に目の前の人がまた笑って歩めるようになるのか”
ということです。
僕が知りたいのは、ただそれだけなのです。
だから、どれだけ多くの人に当てはまろうと、
目の前の人に当てはまらないと意味がないのです。
そして、何よりそういった傾向性を頭に入れて、
分析をするのが僕は大嫌いなのです。
余計な先入観を入れて目の前の人を見たくないのです。
分析が好きな人もいますが、
僕には合いません。
何か見逃している気がしてならないからです。
沢山セミナーにでました。
そこで沢山分析する人と出会いました。
でも、僕にはやっぱり合いません。
カウンセリングの演習の時に、
ただ腕を組んでいただけなのに、
「腕を組まないで下さい。」
と言われました。
「なんでですか?」
と聞くと、「抵抗しているから」と言われました。
僕の心はその瞬間にサァーと音を立てて引いてしまいました。
僕が知りたいのは、本の知識でも、そういった傾向性でもありません。
腕を組んだとしたら、どのような瞬間に組んだのかを理解する目を持つことです。
腕を組んだとしても、その時の呼吸や姿勢や、首の向きや、
話し方といった目の前の人に今起きていることを理解する力をつけることです。
僕がずっとしたかったのは、
そして今もからわずしたいことは、
そのように目の前の人の”今”を捉える力を育むことです。
ただただそれだけなのです。
だから、この教室では多くの人に当てはまるような傾向性はあんまり教えていません。
傾聴でも、このタイプにはこうやって聞いたらいいんだよ。
ということもあんまり教えていません。
だって人はやっぱり違うからです。
その代わりに、傾聴では如何に目の間の人を理解するのか、
如何にその目の前の人の気持ちに気づくのかをお伝えしています。
ある授業の時に受講生の方からこんなことを言われました。
受講生「カウンセリングも学んでいるけど、この教室の方が好きです。」
僕「ありがとうございます。それはどうしてですか?」
受講生「分析とかをしないで、目の前の人を大切にしている気がするから。」
とその方は答えてくれました。
そう、僕がお伝えしたいのは受講生が言ってくれたように、
目の前の人を如何に理解し、大切にするのかなのです。
分析を通して相手を見のではなく、
相手の今の気持ちを理解したい方は、
傾聴基礎コースに是非いらしてくださいね。
一緒に学んでいきましょう!
詳しくはこちら!