「傾聴をする意義って何ですか?」
って、受講生の方から聞かれることがあります。
人の話を聴く意義は、そもそも自分で見つけていくしかないんです。
人の意義を教えてもらっても、やっぱりそれは人のものでしかないからです。
だから、結構困ってしまいます。(^^;
それは、「働く意義って何ですか?」と聞かれていることと同じことだからです。
働く意義には人それぞれの答えがあります。
「生きていくため。」
「幸せになるため。」
「社会に貢献するため。」
「お客様により良い人生を提供するため。」etc…
傾聴をする意義も同様にいろいろと答えがあります。
「その人が自らの足で歩めるサポートをするため。」
「人と人との繋がりや温かさを感じるため、感じてほしいため。」
「お客様のニーズをより把握するため。」
「コミュニケーション能力を向上させるため。」
「相手の心に寄り添うため。」etc…
このようにあげたら切りがありません(^^;
だからやっぱり人それぞれが見つけていくしかないのです。
この教室ではカール・ロジャースさんが教えていたような傾聴を正しく教えてはいません。
その為、オウム返しのトレーニングをしたり、
要約のトレーニングをしたりすることはほとんどありません。
その理由は、そういった傾聴の技術自体に意義はないと感じるからです。
(そもそもロジャースさんも技術ではなく在り方も大切だと言っていますね。)
技術を繰り返しても話が聴けるようにならない。
結局、オウム返しや要約の練習をいくらしようと、
一向に傾聴のスキルは身につきません。
それは、技術ばかりを練習しても意味がないからです。
人がしてほしいことは、表面的に、言葉を繰り返して聞いてますよって、
メッセージを送って欲しいわけでも、
話をまとめて欲しいわけでもないからです。
人の気持ちは一瞬一瞬にうつろいできます。
怒ったと思ったら笑ったり、
色んな気持ちがその言葉の裏に隠れていて、
その一見すると見えなくて捉えづらい自分の気持ちをどうにかしたくて、
人は話をします。
人が聴いて欲しいことは、
きっとそういう一見すると見えなくて捉えづらい自分の気持ちなんだと感じます。
そんな気持ちを受け止めてほしいし、理解して欲しいし、
前に進めたいし、もう立ち止まりもしたい。
怒ってもいるし、悲しくもある。
そんな言葉に込められた矛盾した気持ちも聞いて欲しいんだと、
そう僕は感じています。
結局要約をしても、オウム返しをいくらしても、
そういった気持ちは見えて来ないことが多くあります。
そういった気持ちを捉えていくには、
まずは心構えが必要だったり、
相手の気持ち目を向ける視点が必要だったりします。
でも、これには結構な時間がかかります。
すぐにできるわけではないのです。
だから、取り組みやすい傾聴のスキルに目が行きがちなんですが、
結局それだと結果的に遠回りになるという、
なんとも矛盾した結果になることが多いです。(^^;
ただ、その傾聴のスキルがあなたの意義に沿っているのなら、
それはとっても大切なことです。
でも、僕の意義には添っていません。
人の話を聴く意義は、
僕にとっては、その人が前に進むことでもなく、
何かをうまく成し遂げられるようなことでもなく、
ただ、その時の目の前の人と心と心の交流をすることなのですから。