「悲しいです…。」
そう涙ながらに語る目の前の方は、
大粒の涙を流していました。
このように人は、悲しみに飲み込まれてしまうことがあります。
だけど、その悲しみはその人そのものではなく、
悲しみにその人が染まってしまっているわけではないんですよ。
悲しみはその人そのものではない。
体のすべてが悲しんでいるように僕たちは思いますが、
でも、それはその人の一部分でしかありません。
それを思い出してもらう為に、
”部分化”という技術があります。
それは、全体から部分へと痛みを和らげ、
そして、私自身が悲しんでいるんじゃなくて、
悲しい部分を持った私がいる。
と、そう気づかせてくれます。
その気づきは、「私そのものが悲しいんじゃないんだ…。」
「悲しんでいる私がここにいるんだ…。」
そんなことも思い出させてくれます。
部分化の技術
では、どのようにして部分化していくのかというと、
先の例だと…
「悲しいんです…。」という言葉に対して、
「悲しいですね…。体のどこが一番悲しいと言っていますか?」
と、身体の一部分に限定していくことです。
すると、大抵の場合、胸のあたりを指しますから、
そうしたら、「その旨のあたりに、悲しみを感じているあなたがいるのですね。」
「悲しみを感じている部分があるのですね。」
というように、悲しいという気持ちを、コンパクトに限定していきます。
それは、例えば、写真のように水面に水を1滴たらすと、
その水滴が、波紋を呼び水面全体に広がっていきますが、
同時に、そのたらした1滴は、跳ね返り丸い1粒が一瞬水面からあがるようなものです。
悲しみはその1滴にすぎず、それが全身に波及していくように
僕たちは感じます。
ただ、そう感じるととても感情の波に対処できないように、
そんなように思いますが、それが実は最初はただの1滴だったと、
その1滴が悲しんでいるんだと気づけば、
「これだったら対処できるかもしれない…。」
何て気持も湧いてきます。
だからこそ、この部分化という技術が大切になってくるんですね。
「悲しいんです…。」と言われたら、
「そうですか…。悲しい部分がいるんですね…。」
「寂しいんです…。」
「そっか、寂しさを感じている部分があるんだね。」
といったように、部分化する。
苦しいのも、悲しいのも、怒っているのも、相手の一部でしかないのですよ~。
