あなたは”フレーム”という言葉をご存知?
英語でかくと”frame”、意味は”枠、枠組み”といいます。
心理学ではないけれど、
カウンセリングの世界で”フレーミング(framing)”なんて言葉があります。
フレーミングは、枠組みをつくること。
これは、枠組みを作る。というニュアンスです。
どういうことかというと、
例えば、毎日不安で不安で仕方がなかった時に、
とある本を読んで”不安の原因は、幼少期のトラウマ”である。
という内容を読んだとします。
そして、ふとあなたは、そうか、この不安は、
昔にあったトラウマが原因なのか。
そういえば、昔にあんなことがあったな、、、。
原因はあれか、、、。
なんて思ったとしましょう。
本を読むまでは、”ただ不安”で、原因はなんだろう?
なんてことを考えていただけでした。
ひとたび本を読むと、不安=幼少期のトラウマという、
新しい考え方が入ってきて、それに納得したあなた。
つまりその考え方を採用したわけです。
この瞬間に、不安=トラウマである。
という枠組みがあなたのあたまの中にできました。
これがフレーミングです。
他にも、例えば、
こんなに嫌な出来事が続くのは、日ごろの行いが悪いからである。
というのも一つのフレーム(枠組み)ですし、
こんなに嫌な出来事が続くのは、あなたが何かを学ぶ必要があって、
それを引き寄せている。
なんていうのも一つのフレーム(枠組み)です。
そして、このフレームをあなたが採用した時に、
起るのがフレーミングです。
世の中にはたくさんの”フレーム”に溢れている。
こう考えると、世の中にはいろんなフレームが溢れています。
心理的な悩みの原因は、幼少期のトラウマである。
いやいや、ただの学習の結果である。
はたまた、親との関係である。
なんの、ビリーフ(信念)である。
ちょいちょい、それは心が弱いからである。
etc….
挙げたらきりがない程に、沢山の枠組みに溢れています。
カウンセリングというのは、
こういった色んな”フレーム”の元に行われています。
カウンセリングは、様々なフレームを元に行われている。
例えば、
あなたの悩みの原因は、家族関係であるということであれば、家族療法。
いやいや、それは幼少期の親との関係であるというのでれば、精神分析。
それは、あなたの理想の自分と今の自分とのギャップであるとすれば、クライアント中心療法。
それは、過去の未完了な体験である。とすればゲシュタルト療法。
それは過去の決断によるものである。とすれば再決断療法。
といったように、カウンセリングは、いろんなフレームを持っていて、
その枠組みを元に、当たり前ですが、カウンセリングをしています。
フレームを提示するだけだと、苦しいかも。
そして、カウンセリングというのは、そういうフレームを持っているから、
介入していいんです。(本人の同意があるのが前提です。)
どういうことかというと、例えば、過去の未完了の体験である。
と悩みの原因をするとするならば、その未完了の体験を完了することで、
悩みは解決するわけで、その過去の体験を完了する為の”具体的な”方法があるわけです。
それを提示できる、提供できるから、カウンセリングって成り立っています。
間違っても、「過去の体験が原因ですね。」とだけ、
フレームを提示するだけではないということです。
そういわれるだけだと、
「はぁ、、、。それで私はどうしたら(; ・`д・´)」
となってしまいますし、こんなこともありえます。
先生「それは、あなたの母親の育て方がわるかったからです。」
あなた(そうか、母親が悪いのか…。)
それを信じたあなたは、母親のことをあまり良く思わなくなって、
余計に関係がぎくしゃくなんてこともありえます。
先生はきっと悪気があっていったわけではありません。
ただ、原因というフレームだけをつたえられると、
余計な苦しみを生んだりすることもあるということです。
ただ悩んでいたことが、過去が関係している思ったり、
親がわるいと思ったり、自分が取り組むことがあるからだ。
っておもったり。
そういう苦しみが起ってしまうこともあるということです。
どうせなら、良い”フレーム”を伝えたい。
そういう苦しみが起きてしまわないように、
どうせなら、相手に良いフレームをあげたいものですね。
(まぁ、これも一つの”フレーム”ですけれど(笑))
苦しみを生むかわりに、喜びを。
辛さを思い出すよりも、乗り越えてきたこと思い出す時間を。
こころが弱いというよりも、こころがそれだけしなやかだと。
過去の親との関係、あの出来事があなたを今も苦しめている。
と言うよりも、
そんな経験をしてきても尚、進もうとする気持ちに少しでも寄り添いたい。
「今何が私にできますか?」
といえる存在にわたしはなりたい。
そしてそして、自分にとって役に立つ”フレーム”を採用したいですね。
最後は、どこかの小説のような形(?)になりましたが(汗
柔軟性をもって生きたいものですね。