今日、スーパーバイズであるクライアントの相談をしました。
相談内容は、言えないですがちょっとギリギリの所にいる方で、
このままいけば一般的に言うとダメな方向へと傾いてしまう。
そのダメな方向というのは、
最悪警察のお世話になってしまったり、
自分の人生を壊してしまう方向です。
そんな瀬戸際にいる方です。
特に犯罪を犯す可能性があるというわけではありませんが、
心の癖による二次的な影響で、
そうなってしまう可能性はあります。
そんなギリギリの瀬戸際にいる方と接する時、
悠長に構えている暇はなく、
援助する時も、
頭をフル回転です。
でも、どんな状況にいたとしても、
ご本人が心の底から改善しようと思わなければ、
事態を変えるのはかなり難しいのだと、
改めて痛感したのでした。
というのも、
そういう追い詰められて尚、
これまでの人生の背景から、
あまり自分事として捉えることが出来ない方もいるからです。
そういった認識を持つように、
援助側が煽ったとしても、
一時しのぎにしかならず、
その煽りは、
ご本人にとったら責められたと感じさせる要因になり、
カウンセリングをドロップアウトさせてしまう要因になってしまいます。
人は、その人なりにベストを尽くしています。
ですから、焚きつけるのはちょっと違います。
でも、何とかしたいし、
少しでも止めたい。
そんな気持ちが援助していると出てきます。
そこと葛藤しながらお話を聞いていました。
自分に何が出来るだろう。
どう関われば、
少しでも自分事と受け止めて、
動機が高まっていくだろうか、
今の状態から抜け出せるだろうか。
そんな問いがずっとグルグルとあって、
食い止めなければという責任感と、
自分に出来ることを模索していました。
「藁にもすがる思いで来たんです。」
その言葉は重く、
人生の重さをとても感じました。
どう関わればいいものか、
そんな思いでスーパービジョンを受けましたが、
その帰り道にこんなことを言われました。
「そういう崖に落ちるかどうかの瀬戸際にいる方と会うと、
そういう責任感を感じますし、
それを食い止める最後の砦を任された気分になりますよね。
でも、その方には選択肢がこれまでにも沢山あって、
バットエンドの方をずっと選んできたわけですよね。
そこで、沢山別の道もあったけれど、
それを選ばずに来たから今回の選択肢がまた来たんですよ。
だからどんな選択をするかはわかりませんが、
その責任を感じすぎなくてもいいんですよ。
そして、その方が選ぼうとしていることを止めることが出来るかというと、
止められないことってありますし、
極端ですが本人が例えばホームレスの方が気軽だといったとしたら、
それは止めることができないですし、
止めても幸せかというとそれもまた違いますし、
とても難しいですね。」
と雑談の中でこんな話をしてくれました。
確かにと感じる部分があるとともに、
人生って本当に難しいなって感じました。
人生には選択肢が沢山あります。
そして悩む時というのは、
人生がつついてくれる時で、
大なり小なり何か上手くいかない出来事や失敗があります。
その時、僕たちにはいろんな選択肢があります。
でも苦しんでしまう時というのは、
きっと幸せになる方を選べたはずなのに、
その時の気持ちを優先して、
違う選択肢を選んでしまったり、
人生の舵を取り直すタイミングだったのかもしれないのに、
それに気づかなかったりする。
いつだって、
幸せを、
豊かさを選ぶことが出来るはずなのに、
それが目の前のストレスなり、欲望なり、
感情で見えなくなってしまったりする。
でも、
選択肢が狭められていたとしても、
いつだって人生は選びなおすことが出来るし、
間違ったことが後から正解になることもある。
正解はないけれど、
でもいつだって僕たちの目の前には、
何かしらの選択肢がある。
怒る?褒める?
逃げる?戦う?
守る?信じる?
思いやりを選ぶ?
愛を選ぶ?
豊かさを選ぶ?
成長を選ぶ?
安心を選ぶ?
あげたらきりがないけれど、
こんなどこへと向かうかわからない選択肢の連続があって、
僕たち援助者は、
その選択の連続が不幸にも良くない結果になってしまった時に
相手と出会う。
そこで、助けを当然求めてくれる。
その時、人生の瀬戸際にいる方もいる。
崖が見えて、
僕が、
僕たちが止めないとと、
その最後の大役を任された気になるけれど、
そこに至る道を振り返ると、
そこには、
沢山の枝別れしたターニングポイントがあったのだ。
僕たちは、
たまたまその最終地点で出会ってしまったのだ。
だからといって全力で持てるものですべてで接する必要がないのかというと、
それは違う。
だけど、振り返ってみると、
色んなターニングポイントがその人にもあったんだ。
捕まった時。
誰かを傷つけた時。
財産を失った時。
色んなターニングポイントがそこにはあったのだ。
それを僕たちは忘れてはいけない。
また望ましくない方を選ぶのを止められないかもしれない。
でも、そのすべての責任を援助者が背負う必要はないのだと、
今は少し思える。
精一杯関わっても、
変えられないことはある。
でも、それでも精一杯やったら、
あとは祈るくらいしかできない時も僕たちにはあるのだ。