カウンセリングというと、
話をじっと聞いているというイメージや、
アドバイスをしないというイメージがあるかと思います。
僕も学ぶ前は、そんなイメージを持っていて、
学び始めてからも、
答えは相手が持っているのだから、
アドバイスはダメだと、
そのように常に考えてきた部分がありました。
でも、それでやっても上手くいかない…。
そんな瞬間が僕には多く訪れたのです。
それは、なぜかというと、
クライアントさんの傷つき具合や、
感情のわだかまり具合、
考える力の高低などから、
本当は相手にあった関わり方に変えるべきところを、
僕はいつも一定で接していたからです。
僕の関わり方は、
ある程度力があり、
傷つき具合も低く、
考える力もそれほど落ちていない方向けでした。
その為、クリニックでカウンセリングをする際は、
その関わり方が上手く働かなかったのです。
それはスーパーバイズで早い段階から言われていました。
ただ、そこを僕はどう修正していけばいいのかわからなかったのです。
つまり知識レベルでの不足やスキル不足があったのでした。
そして関わり方はある種の癖な為、
修正するのに多くの時間が掛かりましたし、
今でもその見極めなどに苦労しています。
そして、そのプロセスで僕が一番苦労していた所は、
心理教育の部分です。
カウンセリング中に何かを教えるということや、
方向性を示していくということに、
とても抵抗があったのです。
でも、本当に抑うつが強い場合や、
傷つきや心労が限界にきている場合、
聴くということに加えて、
相手の状況を保証する必要が出てきますし、
何が起きているのかを、
勿論こちら側の推測にはなりますが、
ある程度説明をして、
道筋を示す必要がある時があります。
そのような時に、「心理教育」が登場するのです。
例えば、今あなたに起きている状態というのは、
抑うつ状態と言われる状態で、
仕事を沢山頑張ってきた方によく出る症状です。
例えば、やる気が出ない・朝起きられない・仕事のことを考えると、
急に不安になり手が震えるなども、
そういった症状の一つとして今表れていると考えられます。
ですからあなたのせいではないですし、
考えられないというのも、
抑うつ症状の一つなんですよ。
その状態を抜けていくには、まずは…。
といったように今何が起きているのかを保証しつつ、
説明をして道筋を示していくということも、
ある程度は必要な時があるのです。
勿論、自分で道筋を見つけられればいいですが、
心が本当に疲弊している場合、
そのようにいかないこともあるのです。
この点が僕が葛藤をしたポイントでした。
本当は自分で考えて欲しいし、
そういった関わり方がしたい。
ずっとそう思っていましたが、
それではどうも上手くいかない。
「カウンセリングは、自分で答えを出すんだ。」
そんな脅迫的な観念が僕にはありましたし、
道を示していく場合は、その責任感や怖さもありました。
だからカウンセリング中に教えるという行為をすることや、
道をある程度示していくということにとても抵抗があったのです。
でも、カウンセリング中にティーチングが必要な時もありますし、
コーチング的な関わり方が必要な時もあるのです。
これは聞いたことがある方がいるかもしれませんが、
カウンセリングは、よく心の状態を-1の状態から0に戻すものと例えられます。
コーチングは、0を1に上げるコミュニケーションと例えられ、
ティーチングは、0から1の間にある人に用いられ、
-1の人にはまずは元気になってもらうカウンセリング的な関わり方が大切だと
巷?ではよく言われています。
でも、そのカウンセリング的な関わり方の前には、
家庭教師的な関わり方が必要な時もあると、
教えて頂きました。
まずは隣に寄り添って、
あることが出来るようになるまで教えていく。
そしてそれを行う為に必要な知識を提供したり、
考え方を提供していく。
キッチリと解けているのかとか、
そういったことをお互いにチェックしていくことで、
自分で出来るようになってもらう。
そんな関わり方が必要な時も、カウンセリングにはあるのです。
相手の感情の強弱や、
活動のエネルギーレベル、
傷つきの度合い、
考える力の高低、
知的レベル、
そういったことを吟味しながら、
関わり方を自律的な関わり方にしていくのか、
保護的に関わる必要があるのか、
診断的な医療モデルのような関わりが必要なのか、
家庭教師的な関わり方が必要なのか、
どのような関わり方が目の前の方に今必要なのか、
そういったことをしっかりと感じて援助をしていくこと。
こういったこともカウンセリングをする前に大切なのです。