人には、目に見えないけれど大切にしているものがあります。
それは、一般的に価値観と呼ばれます。
それは、言葉の端々や行動に表れてきます。
例えば仕事の場面で、丁寧さに価値を多く人と、
スピードに価値を置く人とでは、そのやり方が違います。
丁寧さに価値を置く人は、多少遅れたとしても、
丁寧に仕事をするでしょう。
スピードに価値を置く人は、多少雑になったとしても、
早く仕上げることを大切にして仕事をするでしょう。
このように価値観は行動(言動含む)の違いに表れてくるのです。
よく「価値観の違い」という言葉を聞きますよね。
これは、それぞれの人が大切にしていることが違うから、
その表現方法として表れる言動・行動が違って
それが自分の大事にしているものと離れている為に、
なんだか合わないとか、違うなと自分の価値観と照らし合わせた時に、
違いに意識が向いた状態のことです。
「なんであの人はあんな行動をするんだろう?」
「自分だったらあんなことできないのに。」
「自分だったらきっとあの場面ではこうするのに。」
といったように、違いを意識した時の状態です。
さて、この価値観ですが、
違っても僕たちは生きていけますし、
違うことがむしろ当然なのですが、
なぜだか相手に自分の価値観を押し付けてしまうことがあります。
「それはさ○○した方がいいよ。」
(○○には、それぞれが大切にしている価値観や、それを大切にする行動が入る。)
「なんで?みんなで行こうよ。みんなの方が絶対楽しいじゃん。」
(一人ではなく、繋がりや、一緒に何かするから楽しいという価値観の表れ。)
といったように。
では、どうして僕たちは自分の価値観を押し付けてしまうのでしょうか。
それは、シンプルに僕たちは自分がその価値観を大切にしているから、
相手に自分と同じように大切にして欲しいのです。
自分が大切にしているものって、人にも大切にして欲しいものでしょ?
それと同じ心の動きなのです。
だからアドバイスをしたり、
こうした方がいいよと価値観を押し付けてしまうということは、
自分がそれ(その価値観)をとても大切にしたいという気持ちの表れでもあるわけです。
ただ、自分がいくら大切にして欲しいと相手に願っても、
それを相手が大切にしてくれるかどうかは当然相手次第であり、
わかりません。
だから僕たちに出来ることは、
その自分がいかに大切にしたいかというその思いに気づき、
それをまずは自分が大切にしてあげるということです。
そして、どうしても相手にも理解して欲しい時もあります。
そんな時は、自分にできる精一杯の努力をして(伝えたり)、
それでもそれが叶わなかったら、やっぱり自分だけは分かってあげよう。
つまり、自分だけはそれを大切にしてあげよう。
それだけ、叫びたいほど、つよく主張したい程に大切にしたいのだから。