問題を把握くしたい。
理解したいというのは、
聞き手側のエゴであることが多くあります。
それは原因が分かれば、
原因を聴けさえすれば、
「解決できる」
とそのように考えるからです。
しかし、心の問題は本当に複雑です。
環境的要因や、
性別、
年齢、
性格、
経済面など本当に多くの要因が絡まっています。
うつ病の方のカウンセリングをするようになって
痛感したのはこの部分です。
「色んな事が複雑に絡み合っている。」
ということです。
だから、原因とされるものを探求しても
さして意味がないのだと、
最近になって痛感しています。
「○○が解決しさえすれば…。」
というのは実は幻想であることが多いのです。
元々その人に力があって、
悩みも複雑ではなく、
ある1点だけ解決すればいいという場合を除いて、
「○○が解決しさえすれば…。」
というのは、どうやら幻想であるみたいなのです。
みたいなのです。
というあいまいな表現を敢えてしているのは、
経験則だからです。(^^;
さてお話を戻しますと、
そういった原因を探る代わりに、
複雑な要因が絡んでいるからこそ、
目の前の方がすぐ取り組める
とても小さなことを一緒に探していったり、
創っていくことは、
原因を探っていくよりも役に立つことが多くあります。
僕たちは(というか以前の僕は?)、
大きな変化を良しとし、
小さな変化に価値を感じません。
だから根本を解決してやろう!
なんて思ってしまうのです。
ただそれよりもほんの一ミリでも、
亀裂を入れることや、
少しでもその流れが変わるように
援助をした方がいいんだなって、
最近はそのように感じます。
ちょっと湖に浮かぶボートを想像してみて下さい。
ボートってオウルをつかって漕意で行きますよね。
その時に、たったちょっとだけ漕ぐ方向を変えただけで、
辿り着く先は違います。
それがほんの1ミリでも、
小さな変化は、やがて大きな違いになります。
きっと僕たちが聴く事で援助できることも、
そもそも僕たちができることも、
きっとその程度なのだろうと思うのです。