沢山の頑張ったこと。
今生きているということは、
その沢山があったから。
では、頑張ってないと、
生きていないの?
というと、そんなこたぁ~ないけれど、
僕たちは、その頑張ってきたことをついつい忘れてしまう。
なぜ忘れてしまうかというと、
それは僕たちはある魔法の言葉にかけられているからです。
「いやいや怪しくなってきたな…。何言ってんだこいつは…。」
そう思ったあなた。
もうちょっとだけ読み進めてください。(^^;
きっと、怪しくないですから…。きっと…。
その魔法の言葉で、
僕たちは自分の努力や頑張りを、
これまで成し遂げてきたことの価値を忘れてしまう。
そして、その価値を認めようとしなくなる。
その魔法の言葉は、
「当たり前」。
できて”当たり前”
いろんな人と会話が出来て”当たり前”
仕事はやることが”当たり前”
試験はがんばるのが”当たり前”
苦しくても、一人で乗り越える、自分で何とかするのが”当たり前”
仕事にいくことが”当たり前”
普通に生活することが”当たり前”
といったように、この魔法の言葉は、
僕たちが成し遂げてきたことを忘れさせます。
実は、仕事ができていることがどんなにありがたいことか。
仕事を当たり前のようにやれるまでに、
どんな努力をしてきて、どんな失敗をして、どんな悔しさを抱えて乗り越えてきたのか。
僕たちは忘れがちです。
当たり前に歩けていることも、
この目が見えていることも、
目の前の人が、しっかりと話を聞いてくれることも、
家族がご飯を作ってくれることも、
怒ってくれることも、
メールを打てば、返信をくれる人がいることも、
自分の時間という、そんな贅沢な時間を持てることも、
友だちがいることも、
「どうしたの?大丈夫?」と心配してくれるありがたさも、
僕たちは忘れてしまいます。
一見”当たり前”に見えていることを、
本当はそれは嘘かもしれない。
つまり、当たり前は、当たり前じゃないかもしれない。
そんな目を持ってみると、
ちょっと世の中を見る目がほんのちょぴっと変わります。
そして、この当たり前は何も自分だけに限ったものではなくて、
相手にも当てはまります。
悩み、相談に来る人の多くは、この当たり前の魔法にかかっています。
でも、あなたの中でその当たり前が多いと、
相手の中の当たり前に気づく事が出来ません。
そうだよね、苦しいのは当たり前だもの。
そうなったら、悩むのは当たり前だもの。
そうすると、その当たり前の中の当たり前じゃない痛みに気づけません。
相手の当たり前のやさしさには、
人を傷つけてしまったから、優しさをもって接しないという後悔や教訓があったかもしれません。
「あなたは優しい子ね。」そう両親から言われた言葉が嬉しくて、
その優しさをずっと持っていたいと思った。小さな決意があったかもしれない。
自分が沢山傷つけられたから、人には優しくしたいと思った出来事があったかもしれない。
相手が当たり前にできていることは、当たり前じゃない。
そこには、乗り越えてきたことや、
ひそかに自分に誓ったことや、
そうせざるをえなかったことや、
手に入れる事が出来なかったからこその痛みがきっとあって、
その上にみんなが思う、”当たり前”が成り立っているんだと、
そう僕は学び、
そう実感する日々です。
当たり前に思っていたら、
きっと悩み相談を受けることなんて、
話を本当の意味で聴くことなんてできないんじゃないかと、
そんなことも、実感する日々です。
相手の当たり前じゃないことに気づくのも、
そこに声を掛けるのも、それは優しさなんじゃないかと、
そんなことを思います。
そんな優しさを持ちたいなと思いつつ、
自分の中にある当たり前に時に圧倒されながら、
それもまた生きていくことなんだろうと、
謎に納得しながら今日も生きています。(笑)
はい、なんだ日記かよ!
というツッコミは受け付けません。(;´Д`)
全然関係ないけど、傾聴基礎コース 10/22(土)から始まるよ!
あと、11/3(木・祝)「私を知る5000秒~グループセラピー~」もあるよ!
はい、なんだよ最後に結局宣伝かよ!
というツッコミ”も”受け付けません。|д゚;)