人のこころの声を聞くには、
自分のこころの声を聞けないと聞くことはできず、
相手に言葉をかけたい言葉と思っても、
自分に今どんな言葉を掛けてほしいかが分からないと、
掛けることはできず、
相手のことを理解したいと思っても、
自分のことも理解してあげないと、理解できず、
大切な誰かと良い関係を築こうと思っても、
自分との良い関係を築かないと、その関係は築けず。
人生は不思議なもんで、
誰かの力になりたいと思ったら、
まずは自分からした方がいい時が沢山あります。
ただ、人生はこれまた不思議なもんで、
誰かの力になりたいと思う方は、
以前の僕のように自分に取り組むことが苦手な方が多い。
「自分の世話もできていないのに、人の世話なんてできるか!」
と、たまに聞くこのことば、こういうことを良く表していますが、
自分の世話ができないと、本当に人の世話なんてできないの?
というと、そうでもないから人生面白い。
自分の世話をする、自分に取り組む、
自分を大切にする、自分を好きになる。
どんな言葉でもいいけれど、
そんな自分に取り組めない時が人生あるじゃないですか。
どうしようもなく苦しくなる時や、
自分の気持ちが分からなくなる時、
そんな時でも、人に優しく接し、
誰かのたった一瞬の笑顔で、
その瞬間は、「私はここにいていいんだ」って、
「私は誰かに必要とされている」んだって、
そう思って、何とか立っていられることってあるんです。
そんな人たちが世の中にはいるんです。
自分のことを二の次にして、
誰かのために動ける人が。
僕たちは、何が一番怖いかって、
「私はここで生きていていいんだろうか?」
「この世界に必要じゃないんじゃないか?」
って、そんな誰からも必要とされないことが怖いんです。
その恐怖ときたら、半端なく、
時に人を狂わせるほどです。
それでも、僕たちが踏みとどまれる時は、
誰かの笑顔が自分に向けられた時や、
誰かの役に立っている時だったりもするのです。
そして、それは一般的に(?)見れば、
不健康に見えるようで、依存的であるとか、
自己犠牲であるとか、幼いころの両親の関係がとか、
いろんな野暮ったいことを言う方がいますが、
別にそれもいいじゃないかと、
何の迷惑をあなたにかけていると思うのです。
”今は”それで生きられるなら、それでいいじゃないか。と。
そして、その依存的な関係に見えても、
自己犠牲や、不健康に見えても、
それでも、それは誰かに役立っているのです。
そんな瞬間がきっとあるのです。
人の力になりたければ、まずは自分からということは、
一理ありますが、自分から取り組めなければ、
人の力になることから、という一面もあるんです。
自分の笑顔が見れなければ、誰かの笑顔を見る事からでもいいじゃないですか。ね?
そして、それって、
自分の内側から取り組む、自分の世界を創っていくのか、
自分の外側から取り組んで、人の人生に触れ、
自分を省み、自分に気づき、自分の世界を創っていくのかの違いだけだと思うんです。
つまり、自分から始めるのか、
人から始めるのか、
ただ、それだけの違いなんじゃないかと思うんです。
自分の為にはできないことも、
人の為にできることもあり、
人の為にできない事も、
自分の為ならできることもある。
どちらか一方が正解でも間違いでもなく、
どちらもあっているんじゃないかな。
って、そんなお話でした。