復讐は行き過ぎた承認欲求

カウンセリングをしていてたまにこう思うことがあります。

「復讐なんてしても何にもならないのに…。」

「本人は気づいてないんだろうな。痛めつけたいんじゃなくて痛みを分かって欲しいんだってことに。」

と。

 

「根に持つ」という言葉がある通り、

怒りを通り越すと、その怒りが根を張り、

それがいつしか復讐という攻撃の形になります。

 

その復讐方法は、人それぞれですが、

根底にある思いは共通しています。

 

一つ目は、いくらあなたが相手に怒っても、

結局反省もしてくれず、謝ってくれなかったから

怒りが収まらなかったこと。

勿論、誤ったとしてもごめんねで許されないことをされたと

そのように感じる場合は、

同じように許せず怒りが収まりませんが、

怒りという点では同じです。

 

二つ目は、相手を痛めつけてやろうという気持ちです。

 

この二つが合わさって復讐という形に怒りが変わっていくのです。

 

そして、なぜこの復讐が

「分かって欲しい気持ちの行き過ぎた形」になるのかというと、

怒りは分かって欲しい気持ちであることが多いからです。

 

酷いことを言われて、怒りが湧いてくるのも、

相手に反省して欲しいし、謝って欲しいからです。

なぜ反省して欲しくて、謝って欲しいかというと、

相手が自分が酷いことをした分かって欲しいということと、

自分がどれだけ嫌な思いをしたかを分かって欲しいからです。

 

例えば、せっかく作ったご飯を食べてくれなくて、

怒りが湧いてくるのも、

あなたの為を思って栄養面も考えて美味しく作ったのに!

という気持ちを分かって欲しいからです。

だからきちんと食べて!と怒りが湧いてくるのです。

 

このように怒りというのは、

その根底には相手に分かって欲しい気持ちがあるのです。

ちなみに力で分からせようとするのも、

自分が大切にしている価値観や、

自分自身の重要性を分からせたいからです。

 

さて、ここからが本題です。

復讐は怒りが相手に向けられ、

相手を苦しませたい気持ちの表れですが、

怒りが復讐と変わるのは、

相手にいくら怒っても反省したり謝罪がなかったりした時や、

取り返しのつかないくらい酷いことをされた時です。

 

謝ってくれたり、反省の色が見えれば、

それほど大変なことをしてしまったんだ。

人を傷付けたんだ。

そりゃ自分を責めて当然だ。

それに見合った分だけ、自分に罰をかすのは当然だと、

自分の痛みや、

大切にしている気持ちを分かってくれたんだと納得して、

怒りが収まりますが、

反省の色が見えないとそうはいきません。

 

この反省の色が見えなかったり、

自分にされたことが嫌すぎたり、

痛すぎたりすると、

相手に無理やりにでも、

その痛みや如何にいやだったかを

分からせようとする気持ちが湧いてきます。

 

それが復讐です。

 

ではどうわからせようとするかというと、

自分と同程度、もしくはそれ以上の痛みを相手に求めます。

同じように酷いことや、それ以上のことを相手にすることによってです。

 

それにより「どんだけ私が苦しい思いをしたかわかった!?」と、

相手が苦しむ姿を見て感じるのです。

 

つまり相手に同じように痛い思いや、嫌な思いをしてもらって、

自分のされた痛みや嫌な気持ちを相手にも体験してもらいたいのです。

体験してもらいたいのは、体験してもらうことで、

その痛みを相手が感じて、相手に分かって欲しいからなのです。

 

ですから、復讐には実は分かって欲しい気持ちが根底にあり、

それが行き過ぎた形なのです。

 

ただ裏を返せば、自分の分かって欲しい(痛みや嫌な気持ち)

大切な気持ちに背を向けているとも言えます。

背を向けて、相手に意識を傾けてずっと怒っている状態だと言えるのです。

 

ですから如何に自分が傷ついたか嫌だったか痛かったかを意識することなく、

その痛みを自分で労わることもなく、

相手に同じ痛みや嫌な思いを求めていますから、

復讐が終わった後も、爽快感は残らず、

嫌な気持ちが残ったままになるのです。

 

その為、復讐したい気持ちをまずは受け入れつつ、

それほど自分に分かって欲しい気持ちがあることに気づくこと。

それが大切な一歩であり、

相手に分かって欲しいと強く願うのではなく、

まずは自分が分かってあげる。

 

そんなこともとても大切なのです。

・JCA カウンセリング・傾聴スクール 講師 
・カウンセリングルームこころ音 カウンセラー
元引きこもりのカウンセラー。現在は講師として、毎週(土)講義を行う。
都内のクリニックでカウンセリングも行っている。